
『すくらっぷ・ブック』のロケ地巡り・聖地巡礼を目的とした観光案内ページ。
巡礼を志す人に、夜道を照らす灯台のように、役立つことを願って作ったものである。ネタバレ注意。
[news] 2012-01-31: 小諸を舞台にしたアニメ「あの夏で待ってる」放映開始! 芦原中学、懐古園、西浦ダムなど、すくらっぷ…気分が味わえます。
[news] 2012-01-31: 早くも聖地・小諸に「あの夏で待ってる」交流ノートが設置されているようです。
[update] 2011-09-26: 夕闇発 直江津・十和田湖経由 暁着について追記。
[update] 2011-09-19: 夕闇発 直江津・十和田湖経由 暁着について追記。
[update] 2011-06-08: バスで小諸観光ページを新設。一部コンテンツを移動。『すくらっぷ・ブック』作品紹介ページを更新。
[update] 2011-04-03: Google Maps APIについて、V2からV3へ変更。
小山田いく先生が、1980(S55)-04〜1982(S57)-04の間、週刊少年チャンピオンに連載していた青春学園漫画である。
このページは、『すくらっぷ・ブック』の以前に発表されたプレストーリー『12月の唯』『春雨みら〜じゅ』『三角定規プラス1』と、創刊40周年特別企画として2009年に発表された特別編も対象にしている。
逆に、単行本に含まれていた『シューティング・ザ・ムーン』や、小山田いく先生の他作品は、原則として対象外にしている。
時代背景は、1966(S41)年度生まれが、中学2〜3年生(13〜15才)の頃で、1979(S54)-10-24(#春雨,6,27)、1979(S54)-12(#唯)、1980(S55)-04(#春雨,三角,1-)〜1982(S57)-04(#101)である。
ただし、モデルとなった小山田いく先生の中学校生活は、1969(S44)-04〜1972(S47)-03 である。
作品の概要は、ウィキペディアを参照。
詳細は、『すくらっぷ・ブック』ご紹介 (別ページ)を参照。
動く地図です。場所は、順次追加していきます。
上記は、Google Maps API v3を利用していますが、Google Maps版 / Google Earth版 もあります。Google EarthでTiltしてみましょう。
芦ノ原中学校(#春雨〜,どっぐ#2)/芦原中学校(#唯,春雨[連載])

新町2-6-1にある芦原中学校がモデル。
上図は、1981(S56)頃のレイアウト。1975(S50)年頃に撮影した空中写真には、プールや校舎裏が写っている。
学校が畑を買い取り、校舎裏にしたのか?39本のえんぴつ(#95)は、このサイクリングロード土手では?
第三校舎とは?シラカバ並木は存在したのか?

もともと正門があった所だが、現在の正門は奥に引っ込んでしまった。当時は、正面の石(#2)の右側に自転車置き場があった。

布引電気鉄道(1934(S9)年運行停止)の線路跡が、学校南側を通っていたが、これを拡幅した影響で、学校南側が削られた。そのため、校内レイアウトが激変し、当時、校舎裏だった所に、校舎を移設。当時の面影は失われた。プールは当時のまま?
記念植樹 S38.4(#25)が、現存するのか不明。
今日の小諸によると、1979(S54)-10-31より、クラブ発表会、音楽会の名称を、梅花祭に改称したらしい。
(非公式)芦原中学校ホームページでは、懐かしい昔の姿=建替え前の写真などが、紹介されている。
実録 小山田いくの世界 〜 Page.03 学校が詳しい。
通学路の橋/梅林橋(#10,11,24,25,27,29,43,53,どっぐ#2)

当時、車で芦原中学校に向かう道としては、国道141号や北国街道があったが、通学には遠回りだった。
浅間山と鉄道高架橋が見える小さな石の橋を渡るシーンがよく登場するが、その橋は、当時の学校正門付近から東南にある栃木川を渡る橋/梅林橋(上の地図や空中写真を参照)と思われる。
この橋と道は、布引電気鉄道(小諸〜島川原)の線路跡だったため、歩行者専用だったと思われる。但し、現在、この道は拡幅され、立派な梅林橋が掛かっており、面影は失われた。

信越本線旧線路跡であるサイクリングロード。今日の小諸によると、1973(S48)-10-25に複線工事が終了とあるので、それ以降にサイクリングロードになったはず。校舎裏から小諸駅方向を見た写真と鉄道変電所。作品には登場しないが、この道は当時に近いと思われる。

サイクリングロード上にある橋。その橋の先には、車道に転用した鉄道トンネルがあり、そのトンネルの先に、市町公園がある。通学路には不向きだが、歩道が確保されているので、散歩コースには良い。
正式には、トンネルではなく橋。「新町拱橋」といい、S42.10に着手、S43.1に竣工との事。もともと単線だった線路の上に、複線の高架鉄道橋を架けた。
しかし拱橋(きょうきょう/こうきょう)とは、アーチ橋の事を指すそうで、どの辺りがアーチなのか謎である。
画廊喫茶

勝手口が北(#30)から、玄関は南、道路の山側が東、谷側は西と推測できる。この条件から、小諸駅〜小諸郵便局の道路上、三和一丁目にあったと推測。写真は、三和から西(小諸駅)を向いて撮影。
一方、八ヶ岳は小諸の南に位置するが、これが道路の谷側に見える(#77)ことから、道路の山側が北、玄関が東、勝手口が西と推測できる。この条件から、三和〜丸山の道路上、六供一丁目にあったと推測。
相生町に、

本町に夢番地という画廊喫茶がある。残念ながら、平地にあり、入口は北向き。
『どっぐいやあ - すくらっぷ・ブックの素 -』「折り・3
小山田いく作品の小諸ガイドブック〜すくらっぷ・ブックデータベースでは、
懐古園(#40,46,80,100,101,どっぐ#4)

小諸駅から懐古園に向かうには、東西自由通路/跨線橋を通るより、停車場ガーデン/市民ガーデン(2009.5〜)を通り抜け、トンネルを経由して行く道を勧める。
写真をクリックすると、懐古園案内図を表示。
(1)懐古園三の門(#101,どっぐ#4)
(2)木村熊二レリーフ(#40)
かがりが一人で歩いていくシーンに登場。
(3)天守台/石垣(#101,どっぐ#4)

(4)藤村詩碑/藤村記念碑(#40)

雅一郎・マッキー・晴ボン・カナ・坂口・理美・イチノのオールスター7人が碑の裏に隠れた。
参考:1973(S48)年撮影の『すくらっぷ・ブック』以前な私。碑の裏は、7人が隠れるだけの十分なスペースがあった。
(5)水の手展望台/みはらし台(#40,どっぐ#4)

当時は階段を登って展望台に向かったが、現在はスロープに変わってしまった。オールスターが昇り降りした階段は現存するものの通行不可。

千曲川ベリから見た展望台。写真の赤マルをクリック!
(6)馬場(#46,どっぐ#4)

石垣を背に馬場を見る。桜の見ごろは4月下旬。
(7)四海浪売店(#46)

当時はアルミ缶ではなく、瓶だった。丸いテーブルは実在する。国鉄小諸駅旅行センターが後援しているらしい。
(8)富士見台

懐古園には2つの展望台があるが、こちらの展望台は作品には登場しない。富士山が見える時もあるらしい。
(9)小諸動物園(#49)→小諸市動物園

懐古園内にある。ツキノワグマの
(10)渥美清こもろ寅さん会館
1988(S63)年12月24日より公開された『男はつらいよ』#40「寅次郎サラダ記念日」を記念して建てられたらしい。
映画が撮影された時期は、『すくらっぷ・ブック』の時代、1980〜82(S55〜57)年より後である。
(11)郷土博物館

1968(S43)年に火山博物館として開館。
その後、高峰高原ホテルに隣接した浅間連峰自然観察センター(H21.3に閉館)に展示物を移設し、郷土博物館に名称変更。
2009(H21)年3月31日で休館となったらしい。
懐古園については、小山田いく作品の小諸ガイドブック〜すくらっぷ・ブックの舞台、実録 小山田いくの世界 〜 Page.02 懐古園が詳しい。
千曲川ベリ/千曲川のスケッチ場/西浦ダム(#4,50,どっぐ#4)

スケッチ場は、自転車の絵がある辺り。ここへ至る道は、(1)児童遊園地・発電所導水路に沿っていく道、(2)懐古園 三の門料金所付近から紅葉谷を下る道(現在、通行止)、(3)千曲音の道、(4)遊子の道(現在、通行止)、(5)千曲川サイクリングロード がある。(2)(3)(4)は、懐古園内を通行するので、散策券300円が必要。
#4で「昼までの二時間 川べりでのスケッチ」のシーンがあるが、ここから中学校へは、(5)千曲川サイクリングロードを経由したと想像する。自転車だけでなく、車両も通行可。

小諸駅裏から、児童遊園地沿いの車道を下る。発電所導水路が見えたら、その脇の歩道/階段を下る。急坂。
#50で、坂口がみっちゃんと相談するシーンと、イチノと晴ボンが坂口を探しにくるシーンがあるが、ここに辿りつくまで、相当歩いているはず。帰りの上り坂も辛い?

西浦ダム湖畔。釣り人が多い。ダムの上は歩行者通行可。ダムカードは、多分無い。
西浦ダム脇にある小諸発電所で使用する水は、佐久市今井にて取水。付近にある第一調整池/杉の木貯水池から千曲川東側にある地下水路を経て、小諸市南城公園付近にある第二調整池に至る。ここから、懐古園児童遊園地の南側にある導水路を経て、小諸発電所に至っているようだ。
西浦ダムで取水した水は、小諸発電所で使用した水も含め、千曲川西側にある地下水路(布引観音付近)を経て、東御市にある島川原発電所、上田市丸子町にある塩川発電所に至っているようだ。
1975(S50)年頃に撮影した空中写真には、河原内に「遊子園」が見える。何の施設だったか不明だが、現在は廃墟?
当時の遊園地は、現在、駐車場になっている所にあった。

(左)栃木川と鉄道高架橋。(右)鉄道高架橋から見た栃木川と北国街道。坂の町を実感する。

中学校までかなり歩くが、のんびり景色を楽しむのも良い。

小諸駅(#唯,17,63,89,93,98)


外観が少し変わったが、建物は昔のまま。#17の駅前商店街と見比べて欲しい。
当時は、現在の改札口に加え、出口専用改札(#17,66)があったようだ。
現在の小諸駅舎は、平成26年度目途に地域交流センターに建替えられることが決まった。老朽化が原因らしい。
詳しくは、整備計画・地域交流センター 平面図を参照。
レスト喫茶あさま は、2階の厨房で作ったお惣菜を1階改札口付近で販売しているようだ。喫茶の営業は多客時のみ?
小山田いく作品の小諸ガイドブック〜すくらっぷ・ブックの舞台、実録 小山田いくの世界 〜 Page.01 国鉄小諸駅が詳しい。
桜井カメラ店/カメラさくらい(#15)

大手1-5-17にある桜井写真商会がモデル。
店先で、オリジナルポストカード「猫のいる小諸の風景」(絵:小山田いく・企画発行:飛天WEB)を無料配布中。
上記ホームページに「photographer 桜井光代」というページがある。ご本人のようですね。驚きました。
「カメラさくらい」の左隣に、「COFFEE & TEA ひいらぎ 小諸店」(#15)がある。古地図によると「さくらい写真館/桜井写真商会」の左隣は「稲毛家」「栗林時計店」「平井商店」であったが、現在は更地になっている。
姫木平(白樺湖付近)に、1976年にオープンしたハンバーグで有名なレストラン ひいらぎがあるが、その支店をイメージ?
市民公園(#20,24,63)
(1) 市町公園/市町区 緑化遊園地/市町区 児童遊園地

市町にある市町公園は、通学路の途中にあるし、名前も一文字しか違いがない。
ただし、コンクリートの塀も照明塔・木立・噴水も無いし、規模も小さい。住宅街にあるので、演劇部の練習には不向き。
1975(S50)年頃に撮影した空中写真によると、造成前で更地になっているので、連載当時は存在しなかったかも。
(2) 中松井公園

甲4165番1にある中松井公園は、木立の側で演劇の練習をするシーン(#20)に良く似ている。規模も適切。
ただし、妖精館より山側にあり、コンクリートの塀も照明塔・噴水も無い。
(参考) 小諸市都市公園条例
陽快神社(#唯,#35,85,99,特別)
(1)

田町1-6にある健速神社は、読みは似ていないが、漢字が似ている。ケヤキの大木もある。
やぐら(#42)は、健速神社にあるものと似ている。
ただし、健速神社の社には、縁の下が無かったかもしれない。階段の上にあるため、散歩(#99)で訪問したとは考えにくい。
なお、毎年7月13日に一番近い日曜日に、小諸で最も賑やかな健速神社祇園祭が開催される。
(2) 八幡神社

小諸駅から浅間山へ歩いて登る場合、与良町2-7にある八幡神社の境内を通るのが合理的。社には縁の下があり、ケヤキの大木もある。
ただし、芦ノ原中学校や妖精館があるエリアとは、少し離れている。
正面が八幡神社で、相撲土俵を挟んで、熊野神社もある。
坂道小学校(#87,どっぐ#1)

ガスタンク(#42,特別,ぶるう#54)

南中学校(#59,61,62,ぶるう#73)/東中学校(#春雨)

加増3-5-1にある小諸東中学校がモデル。
連載当時の木造校舎は既になく、現在は鉄筋校舎になっている。校門は、正門・裏門・通用門(全て仮称)の3つあるようで、それぞれに御影石の学校表札があるが、横書き(#61)のものは無く、全て縦書きだった。上の写真は、通用門の表札を横倒しにしたもの。
#61では「南 中学校」と妙な空白があるが、この表札も一見するとそのように読める。ただし、良く見ると「小」が特別小さく「東」が潰れて彫られているためである。

バスで小諸東中学校に来る場合、正門の近くに着く。
地図を見て欲しいが、この門の先はグランド脇を通る生活道路となっており、校舎に至る分岐点まで一般人も通行可能。この門の先を右折し、こみやま歯科医院の先に裏門があり、その先に通用門がある。
裏門の学校表札だけ、新しいので、連載当時は横書きだったかもしれない。
実録 小山田いくの世界 〜 Page.03 学校に、東中学校前バス停(臼田・軽井沢方面)の写真がある。上記写真は、小諸・上田方面であるが、バス本数が激減していることがわかる。
余談だが『ぶるうピーター』では、K市 南中学校として登場する。
1980(S55)年度 肝試しの道(#16)
(1)コース
学校〜きねがわ橋〜六地蔵(#85)〜墓地〜幽霊通学路〜地蔵堂〜橋〜学校
地図にある川は、栃木川。学校と川の流れの位置関係から、地図の右が北、地図の上が西であろう。中沢川が記載されていないので、コースは栃木川と中沢川に挟まれたエリア限定してよいか。
毎年恒例(#16)との事であるが、前年も同じコースか?
(2)きねがわ橋
栃木川に架かる端なので「きぬがわ橋」の間違いか?
通学路の橋/梅林橋と同一の可能性が高いが、青木明神諏訪神社付近の橋の可能性も捨てきれない。
学校から一直線に伸びる道が、いつもの通学路と仮定すると、六地蔵・墓地は、セブンイレブンがある付近で、通学路・栃木川・しなの鉄道に囲まれた、かなり狭い三角地域内にあることになる。ここは私有地で、通行できる道が無い?
(3)幽霊通学路・六地蔵

新町1-4にある「セブンイレブン付近から南西に向かう道」が幽霊通学路のモデル?

一体だけだが、お地蔵様も実在する。このお地蔵様が六地蔵のモデルと推測する。
(4)墓地

セブンイレブン付近から、南東に向かうかなり細い道が墓地に至る道。墓地中央にY分岐があり、通学路や新町に抜けることができるようだ。(未確認)
(5)地蔵堂

青木明神諏訪神社がモデルか?ただし、地図にあるように回り込むような道は無い。
1981(S56)年度 肝試しコース(#67)
(1)コース
森の中〜墓地〜妖精館の裏
前年と異なり、地図が無く、場所を特定できるものが妖精館しかない。
根拠は無いが、八幡神社がある与良町がモデルのような気がする。
(2)開催日
マッキーの誕生日は、1966(S41)-08-17なので、開催日は1981(S56)-08-17と特定できる。
(3)スタート地点/森の中
場所の特定が難しい。どこかに集合してから、一緒にスタート地点に向かったのか。
木立のある陽快神社(→健速神社か八幡神社)がスタート地点だった可能性もある。
(4)妖精館の裏
肝試しコースの途中に、線路や国道を跨ぐとは考えにくい。妖精館の勝手口は北向き(#30)なので、肝試しコースは、妖精館入口の北側にあると考えられる。妖精館は、六供か三和にあると想定している。
(5)墓地

健速神社裏の墓地がモデルになった可能性もある。ヨーコの後ろにあった「南無石佛」の石碑に似てる?
六地蔵(#16,85)

市町1-3にある養蓮寺には六地蔵がある。しかし建立時期が新しく、住宅街にあるので、モデルになった可能性は無い。
小諸市民さんから、甲
何故、お地蔵様は一体ではなく六体なのか調べてみた。仏教では六道輪廻という思想があるそうで、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道と生まれ変わるらしい。お地蔵様は、これらの世界から人々を救ってくれるらしい。へぇ〜
ガードレールのある車道(#3,15,17,75,93)
七夕/1980(S55)-08-07(#15)
8月第1土曜日に行われるこもろ市民まつり ドカンショがモデルか。
あき地(#5)
空き地に土管(ヒューム管)が3つが積んである。ドラえもんに出てくる空き地がモデル?
落葉松林の霧氷/ジョギングコース(#33,35,46,50)
小諸市六供乙××/マッキーの家(#44)
小諸市乙
高峰高原(#92,特別)
付近には、高峰温泉、高峰高原ホテル、アサマ2000パーク(←高峰高原スキー場/高峰ロッヂ)がある。
取材メモ:高峰マウンテンロッジ(←チドニーホテル←高峰ロッヂ?)、渡辺ハウジング、高峰車坂山荘、市営浅間連峰自然観察センター、高原ホテルは1992年開業。芦刈場(#30)
セミの公園(#68)
キノコ狩り(#75)
落葉松の林(#78)
タコあげ会場(#86)
ニョコの山(#90)
裏の原っぱ(#95)
市民グラウンド/ビフロストの橋(#99)
浅間山(#20,21,30,40,63,66,92,96,98,特別,どっぐ#1,2,4)

芦原中学校付近から眺めた浅間山。#92と見比べて欲しい。六角の塔は、小諸高原美術館。

佐久市の佐久スキーガーデン・パラダ(平尾山)から眺めた浅間山。小諸市から浅間山は、良く見えない。

信越本線旧線路からは良く見えたはずだが、現高架鉄道からは気付きにくいと思われる。
→菊池真一研究室によると、S21(1946)-11-16に告示された『当用漢字表』で、縣が県に字体が変更されている。この標識柱は、その前後に建てられたものと推察する。当時は、小諸駅から歩いたか?
登山者向け国鉄バスは、1957(S32)-07-02に開業した模様。それ以前は、小諸駅〜赤坂〜八幡神社境内〜青年の家〜浅間山荘/天狗温泉〜賽の河原〜浅間山と歩いたのだろうか。
なお、あさま山荘事件があった河合楽器 浅間山荘は、レイクニュータウン(碓氷軽井沢ICの西5km付近)にあったので、場所は全然違う。
5月の浅間山開きには、臨時バスが走るようだ。
浅間山天明三年大噴火(#21,24)は、天明3(1787)-07に発生した噴火。溶岩流・火砕流により嬬恋村鎌原が全滅し、吾妻川をせきとめたことで、泥流が発生、長野原に壊滅的被害を与え、前橋・伊勢崎の川筋に、たくさんの死人が打上げられたらしい。
浅間おろし(#25)は、冬の季節風で、山を越えて吹きつける下降気流「からっ風」のこと。
八ヶ岳(#77,78)
日本アルプス(#52,92)
北アルプス(#18,20,42,93)
信濃工業高専(#84,93,どっぐ#3)

「できたら 毎日おまえと ここに立ちたいな」(#84)
→国立長野工業高等専門学校/長野高専がモデル。#84,93と見比べて欲しい。図面をクリックすると、全体図を表示。

→寄宿舎「雄風寮」は、5号館まであるようだ。ここのどこかに、イチノと坂口が暮らしたはず。
→『ぶるうピーター』のアルゴー寮のモデルか?。見取り図(ぶるう#46)によると、男子寮は36名(18室)が定員、1学年12名しか入居できない。1号館がアルゴー船(ぶるう#69,70)に見えるのは気のせいか。
小諸の近くのスケートセンター(#30)
屋外リンクで、「スケートセンター」の看板あり。
→軽井沢スケートセンター/千ヶ滝温泉が最有力。惜しまれつつ、2009(H21)-03-31をもって営業終了。
→他に、女神湖スケートセンター、白樺湖スケートセンター、上田市民の森スケート場、軽井沢駅前スケート場、軽井沢風越公園アリーナも候補。
→小諸市の水明小学校では、学校の田んぼを利用した田んぼスケートがあるらしい。
菅平高原のスキー場(#36)

時期不詳@上田駅。
上田公園(#49)
紅つつじのキャンプ場(#57)
時期は、3年生になってすぐ、1981(S56)年4〜5月頃か。詳しい旅程は不明だが、3泊4日と推測した。
(1) 上り急行 信州号(#51)
(2) 新幹線
(3) 奈良
「奈良…そして京都」「列車…奈良の鹿の毛…新京極」(#51)とあるので、最初に奈良を訪問したと推測。
奈良を観光し、初日に宿泊するシーンが無いのは、皆さん、長旅でお疲れだったからだろう。
実際、小諸から京都まで長時間の移動後、法隆寺と奈良公園を巡るのは、しんどいはず。
奈良へは、国鉄で移動か、近鉄&奈良交通で移動という選択肢もあるが、少なく見積もっても総勢280人(←40人×7組)もいることから、貸切バスで移動したと考えるべきだろう。
移動は、赤い?帯のある貸切バス(#52)。バス会社は、車体に鹿(奈良交通)や犬(帝産)のマークが無いことから、京都バスか京阪バスと推測。
京都から遠い法隆寺を先に見学し、その後に奈良公園に行ったと思われる。
初日の宿は、奈良か京都か、どちらだろうか?
仮説1:奈良市内に宿泊
その場合、法隆寺から、奈良市内の旅館に入り、その後、歩いて奈良公園に行き、鹿と遊んだと推定。
翌日は旅館で朝食後、京都市内へバスで移動したのだろう。
仮説2:京都市内「うわん荘」に宿泊
#51で宿の部屋割りを見るシーンがあるが、1つしか出てこないことから、複数の旅館に宿泊していないと解釈。
このシーンは2日目だが、1日目も、うわん荘だったのだ。
ただし、仮説1に比べると、奈良公園→京都の移動時間が追加されるので、更に強行軍になる。
(4) 京都(#52)
(5) 清水寺(#52)

子安塔から見た清水寺(きよみずでら)。三重塔・経堂・田村堂・朝倉堂・本堂/清水の舞台。#52と見比べて欲しい。

西門と本堂/清水の舞台。大江が「何となく山もやわらかく見えるんだ」と言っているシーンは、仁王門下から境内/西門を望んでいる所と思われる。晴ボンが清水の舞台から見た風景は、ぜひご自身で。
(6) うわん荘(#52,61)
うわん荘は京都にある(#61)。宿泊した部屋は4階(#51)。旅館上部に看板「うわん荘」があり、道路向かいも旅館(#52,61)。
うわん荘は、実在しない。様々な仮説を考えてみた。
仮説1:妖怪の名
「うわん」で検索すると、そういう名前の妖怪がヒットした。この仮説では、モデルとなる旅館は存在しない。
仮説2:

ただし、写真の通り、裏参道のため、観光客は少なく、混雑もしていない。お店は少なく、旅館やビルを見つけることが出来なかった。
仮に旅館が向かい合っていた場合、糸電話で通話できる距離だが、お互いの顔が見える距離なので、モデルには不適か。
仮説3:緑風荘

地図で「〜荘」というホテルを探した所、下京区西洞院六条上る金屋町490に、緑風荘という宿があったので、モデルの可能性ありと考え、訪問してみた。
沿革によると、1968(S43)年に7階建で新築、1989(H1)年にリニューアルしたとの事。
仮に旅館が向かい合っていた場合、糸電話の通話は難しい距離だが、夜間、お互い顔を見ることは無理な距離=シーンに合った距離だと思う。
ただし、向いは旅館ではなく、現建物上部に看板は無かった。現在、旅館の斜め向かいが駐車場になっているが、当時、ここに旅館があった可能性もある。ここがモデルだった可能性はゼロではない。
仮説4:祇をん 新門荘
京都府旅館組合 団体旅館部会は、修学旅行を主に受け入れている旅館の集まり。
そこから「〜荘」というホテルを探した所、67軒中、祇をん 新門荘・聖護院 御殿荘・日昇別荘の3軒あったが、4階まであるのは新門荘だけであった。ただし、1981(S56)当時は、他にも候補があったかもしれない。
新門荘は、東山区祇園花見小路新門前にある。見取り図によると、4階建で、#51の部屋割りと一致しないが近い。新京極も徒歩圏内。ただし、向かいは旅館ではない。モデルの可能性あり。
仮説5:料理旅館 湖月荘
1983(S58)年に発行されたガイドブックから「〜荘」というホテルを探した所、料理旅館 湖月荘を見つけた。
現在は休館中だが、南禅寺エリアにあるので、観光コース上にあるのも魅力。ただし、4階まであるのか、向かいに旅館があるのか、修学旅行生を受け入れる旅館かなど不明な点も多い。
仮説6:御池通・烏丸通・四条通・河原町通で囲まれた地域
旅館と旅館が向かいあう程、修学旅行の宿が密集する地域でなければ「修学旅行の糸電話」のドラマは無かったはず。
「〜荘」に拘りすぎて、本質を見失ってはいけない。
京都府旅館組合 団体旅館部会 〜 中京地区によると、該当する旅館がいくつかありそう。
蛇足:糸電話が通話できる距離は?
デイリーポータルZによると「糸の張りさえキープ出来れば、結構な距離でも届く」らしい。
(7) 大阪・神戸(#51)
(8) 新幹線
(9) 上野
(10) 小諸へ
(11) 山川大蔵さんのご意見
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(12) リアル芦原中学校の修学旅行
(1) 特急 あさま15号 (#63)

1995(H07)-02-26, 189系特急あさま。2009(H21)-06-07, 189系妙高1号@関山駅。

2009(H21)-12-31, 489系急行能登@上野駅。
当時のあさま号は189系もしくは489系だったようだ。詳しくは、実録 小山田いくの世界 〜 Page.08 あさまを参照。
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「明日から夏休み」「出発は明日の夜」
→当時、夏休みは7/21頃〜8/31が一般的だったが、長野県では7/28頃〜8/19だったらしい。
終業式の翌日=夏休みの初日に出発したので、1981(S56)-07-28(火)に出発したと推測。
「直江津までの乗車券と指定券三人分」「民宿に二日間予約」
→雅一郎は3人分の切符を代理購入。学割は使っていないと思われる。
小諸〜直江津を自由席にすると、特定特急料金 900円と半額になる。指定席を選ぶ所に雅一郎の男気を感じる。
→宿までバスやタクシーを使ったとは考えにくい。駅から海に近い宿まで歩いたと推測。
(2) 新潟県上越市/直江津 (#14,64)
2009(H21)-08-16, 直江津駅。駅舎は建替えられている。
直江津駅から直江津海岸へ。ゆるい坂を登りきると、海が見える!
船見公園。海水浴も出来るようだが、現在はビーチバレー会場になっている。
ただし、岩場とビル(#14)、ガードレールのある道路(#14,64)、海の家(#64)が無いので、もっと西寄りのなおえつ海水浴場のようだ。
なおえつ海水浴場は、駅から歩くには辛い距離。駅から旅館まで歩き、海水浴場まで宿の送迎車を使ったのなら、宿はこのあたりかも?
B型人間のアウトドアによると、船見公園の他に、海水浴場が3つあるらしい。
波路荘。多分、海に一番近い旅館。天輪荘のモデル?
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「晴ボン ウダウダせずに一泳ぎしようぜ!!」
→イチノは晴ボンに海水浴を提案するが、イチノが水着になっているシーンが無い。
→イチノに海で溺れた経験があるとは思えない。泳ぐ気分になれなかったとしても海パンを穿いているはずだ。
晴ボン・クマが、どこで着替えたのか推測してみた。
→朝から夜まで、宿に戻らずに、海に居たように見える。夕方には、全員着替えている。
→海の家を使えば、上着・タオルを預け、シャワーを使うことも可能。しかし節約のため、海の家は使っていないはず。
→宿を出る時に海パンを穿いて、砂浜に荷物を置いた。夕方、乾いた所で上着を着たのではないか。そのほうが、学生らしい。
「海の広さは人をよけい小さく見せるだけだ」「灯台に…なりたいな」「明日…ここ たとうや」
→上着を濡らしてしまったイチノとクマ。宿に戻って、夕飯を食べ、濡れた上着を洗濯したか。
→夕飯を食べた後、どこに行くか相談。晴ボンがアイディアを出し、イチノが時刻表で旅程を具体化していったと推測。
イチノが時刻表を持っていたなら、7/20(月)発売『国鉄監修 交通公社の時刻表 8月号』(通巻666号 定価500円)か。
→翌朝、直江津駅窓口で、大館までの切符を買った。
(3) 直江津→秋田→大館→十和田湖 (#64〜65の間隙)

1995(H07)-05-06, 十和田湖行きバス@大館駅。

1995(H07)-05-06, 十和田湖駅@休屋。
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→はつかり号をぜいたく(#66)と言っている事から、ヤングらしく鈍行で移動したと推測。秋田駅前旅館に泊ったか?
→十和田湖行きバスは、大館から乗車したと推測。指定を受けていなくても、バス指定券相当額を払う必要があった。
(4) 十和田湖/乙女の像、バス・遊覧船(十和田湖→子ノ口) (#65)


2011(H23)-09-03, 子ノ口駅から見た子ノ口桟橋。横断歩道は実在した!

子ノ口駅。晴ボンが、この駅舎内のロッカーに荷物を預けたシーンがあるが、イチノたちも同様と思われる。
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「乙女の像…か」「イチノたちと はぐれちゃったんだよね〜」
→十和田湖と太陽が描かれたシーンから、お昼近くと考えられる。
→バス下車後、乙女の像付近までは3人一緒だったようだ。乙女の像は、高村光太郎作のブロンズ像だが、平成6年に移転したらしい。詳細不明。
「湖の反対側の子ノ口とかへいって青森いきのバスに乗る」「予定は話してあるから子ノ口で待とうって、さっきバス乗ってったよ」
→晴ボンが居ないことに気づいたイチノとクマは、
何故か探すのをあきらめ、子ノ口で晴ボンを待つことにして、バスで子ノ口にバスで移動してしまう。
→一方、晴ボンはバスに乗り遅れたため、
船はバスより時間が掛かるが、次のバスより船の方が、早く子ノ口に着く。
「いないね〜 イチノたち」「バス 早く着いたから ブラついてるのよ」「夕方までにこのバス停にくればいいんでしょ」
→イチノたちは子ノ口で待っていたが、追いついた晴ボンを見つけられなかった。
→晴ボンはロッカーに荷物を預け、
イチノたちの行程を考えてみた。
→イチノたちが先にバスに乗った理由は、途中のバス停から晴ボンがバスに乗り込んでくる可能性があると考えたからだろう。
しかし次のバス停、瞰湖台は3.8kmも離れていて、晴ボンがここからバスに乗ることは無かった。
→14:04 子ノ口に到着。次のバスが70分後に来ることを知り、ロッカーに荷物を預け、晴ボンが来るまで周辺を散策しながら待つことにした。
しかし、子ノ口周辺は、桟橋とバス駅以外にブラつく所が無く、湖を眺めつつ、考え事をしていたのではないか。
→14:45 遊覧船が子ノ口に到着。船が着いた事はイチノたちも気付いたが、晴ボンが乗っているとは考えなかった。
下車客を遠くから眺めたと思うが、二頭身の晴ボンは、他の観光客に隠れて見えなかったのだろう。
→15:14 次のバスが子ノ口に到着。しかし晴ボンは乗っていなかった。
イチノたちはこの時、さっきの船に晴ボンが乗っていたかもしれないと気づき、あわてて奥入瀬渓流に入ったのではないか。
(5) 奥入瀬渓流/玉だれの滝 (#65)

2011(H23)-09-03, 九段の滝、渓流、偽の玉簾(だれ)の滝。

2008(H20)-05-03, 阿修羅の流れ
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→奥入瀬渓流は全長14.2km。主な名所は、子ノ口〜銚子大滝〜玉簾の滝〜雲井の滝〜阿修羅の流れ〜石ヶ戸〜黄瀬〜焼山。
→作品に登場する滝は、銚子大滝の先にある九段の滝と思われる。ここから玉簾の滝までの間で、
→本物の玉簾の滝は、水が岩肌を玉の様に落ちる滝。歩道からは見ることが出来ず、車道または車窓でないと見ることができない。
青森・焼山方面から来る時は、雲井の流れ(←雲井林業)バス停で下車。車道を「玉簾の滝トイレ」まで歩き、ここから歩道に入る。
イチノたちの行程を考えてみた。
→晴ボンは15:00に、イチノたちは15:20に奥入瀬渓流に入った。イチノたちは早足だったので玉簾の滝で追いついたのだろう。
→もうひとつの可能性を考えた。
イチノたちは子ノ口に14:04に着いた。しばらく待っていたが、先に行くことにして、14:20に奥入瀬渓流に入った。
この場合、15:40に、雲井の滝(もしくは阿修羅の流れ)で折り返し、玉簾の滝で折り返した晴ボンに、銚子大滝付近で追いついたと考える。
ただし、クマが「ヘタな考え休むに似たり! 奥入瀬渓流を満喫しよう!」と強引に誘わない限り、先に行くことにイチノが同意するとは思えない。
(6) 子ノ口→焼山→青森 (#65〜66の間隙)

2008(H20)-05-03, みずうみ号@蔦温泉、(自)青森駅。

2011(H23)-06-11, みずうみ号@(自)青森駅。
(自)青森駅は、2009(H21)-02-01に移転。写真のバスターミナルは移転後、取り壊されて、道路になった。
実録 小山田いくの世界 〜 Page.08 小諸市以外に、十和田湖→青森駅の写真がある。
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「おーし 帰るか!!」
→子ノ口に戻った3人は、夕日が映る十和田湖を眺めながら、帰郷を決意する。子ノ口1734発が最終バス。
→このセリフから、この時点で、帰路が何も決まっていないことが伺える。
→子ノ口を午前中に出発しない限り、同じ日の青森駅14:25発の列車に乗り継ぐことが出来ない。
明記されていないが、どこかに宿泊したはず。奥入瀬渓流の終点である十和田湖温泉郷(焼山周辺)に宿泊したと想定。
→宿でマッキーに電話することも考えたが、夜間だった事と、何時小諸に帰れるか、その時点で不明だったため、電話しなかった。
宿でじっくり帰路を検討し「心の整理」をしたのではないか。
(7) はつかり12号 (#66)

1972(S47)-1978(S53)?, 485系はつかり号@石橋駅/急行いいで。
2008(H20)-05-01, E751系@蟹田駅。
2009(H21)-10-11, 583系@象潟蚶満寺付近。
晴ボン達が乗ったはつかり号は、イラスト入りヘッドマーク付きの583系か485系だったと思われる。
1978(S53)年10月のダイヤ改正以降、イラスト入りヘッドマークが使われたそうだ。
この旅行からわずか1年後、1982(S57)-06-23、東北新幹線が開業し、はつかり号は、盛岡止となる。そのはつかり号も、2002(H14)-12-01に廃止。
2011(H23)年3月に運行開始した「はやぶさ」では、青森〜東京の所要時間は、最短3時間10分だそうだ。
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「今か?青森だよ 青森駅! 小諸に着くの明日の朝3時31分だ」「最後のぜいたく…帰りは特急 はつかり12号と急行 妙高9号に決めました」
→バス下車後、まっすぐ青森駅の旅行センターに向かい、係員と相談しながら、切符を買ったと推測する。
→電話で小諸到着時刻を告げていることから、切符を買ってから電話した事がわかる。
→青森駅本屋跨線橋にある時計が2時15分を示すシーンがある。発車10分前で、急いでいる雰囲気は無い。
自由席ならもっと早い時間に改札を入り、列車入線まで並んで待ったはず。この列車も指定席だったのだ。
(8) 妙高9号(#66)

1991(H03)-09-01, 165系@新宿駅。
当時、急行 妙高号は169系で、夜行の妙高9号のみ客車列車(旧型客車、後に14系)だったらしい。最短夜行列車。
詳細は、実録 小山田いくの世界 〜 Page.10 妙高を参照。
169系は、2011(H23)年時点で、しなの鉄道に4編成残るのみだが、置換=廃車の予定があるらしい。
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→上野到着後、妙高9号の自由席に座るため、乗車列に並んだと推測する。入線23:40。
当日は臨時急行 妙高7号/6301Mの運転日。入線23:34、上野23:46発、小諸3:12着。この列車の方が小諸駅に19分早く着く。
この臨時列車の存在を、イチノも青森駅旅行センター係員も失念していたのだろう。
イチノたちは、上野駅でこの臨時列車の存在に気づいたと思うが、マッキーたちに到着時刻を連絡済のため、予定通りにしたと推測する。
「あとどれくらい? 上野出て30分だからあと3時間」
→妙高9号の車内で駅弁を食べているシーンがあるが、これは車内販売で買い求めたのではなく、上野駅で購入したものだろう。
上野23:58発、大宮0:26発。上野出て30分なら、大宮駅を発車直後のはずだ。
(8) 青森発上野行列車について
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子ノ口から青森行(最終バス)は、国鉄バス みずうみ21号 子ノ口17:34発→青森20:02着。
切符を買う時間も十分あり、夜行列車(急行 八甲田号)に乗継可能。8/1(土)午後には小諸に帰ることが出来たはず。
マッキーたちを安心させるため、なるべく早く帰るべきだが、何故、宿泊したのか推測してみた。
→子ノ口で帰宅を決心したが、もう夕方だったこともあり、まずは宿の手配を考え、子ノ口駅係員に相談をした。
そこで十和田湖温泉郷(焼山付近)の民宿を紹介してもらったと推測する。
→青森宿泊を選ばなかった理由は、子ノ口駅では、青森駅前旅館に関する情報が無かったからではないか。
子ノ口に居る時に宿を決めないと、20時過ぎに青森駅前を空室を求め彷徨う事になる。これは回避したいはずだ。
次に、青森14:25発の列車を選んだ理由を推測してみた。
→始発バスは、十和田湖温泉7:50発(焼山7:55発)→青森9:57着であるが、朝食を食べるため回避した。
次のバス、焼山8:51発→青森10:59着を利用したと推察した。
→青森11:20発のはつかり8号は、切符を買う時間とマッキーへ電話する時間を考え回避した。
青森12:55発のはつかり10号は、上野での乗継列車が、次列車(はつかり12号)と変わらない事から回避した。
その結果、青森14:25発のはつかり12号になったと推察する。
→なお、上野まで特急で9時間、急行で11時間程度掛かる。鈍行で帰る場合、宿泊が必要になるため、経済的にも不合理。
なお、青森12:55発のはつかり10号に乗ると、急行 越前(大宮2119発→小諸23:46着)に乗り継げる。
ただし、大宮での乗継時間が3分しかない。この乗継も候補ではあったが、リスクを考え、回避したかもしれない。
(9) 青森→小諸の乗車券について
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最短経路。大宮駅で、はつかり12号から妙高9号に乗り継ぐ。22:46着 0:26発なので、100分待ちになる。
途中駅で長時間待たされるのはキツイが、イチノたちが考えた最初のプランと考えた。
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駅窓口と違い、旅行センターの係員は、最短経路での運賃計算をした上で、上野で乗り継ぐプランも提示したのではないか。
東京〜大宮の乗車キロは30.3km。最短経路と比較すると1,400円高くなる。
急行 妙高9号の座席車は、全車自由席だった。ボックスキープを確実にするためには、始発駅から乗車する必要がある。
はつかり12号は23:13に到着、妙高9号は23:40に入線。このプランなら駅弁を買いつつ、余裕を持って乗り継ぐことが出来たはず。
青森駅旅行センターの係員は、上野で乗継するメリットを説明し、イチノたちは、その提案を承諾したと考えた。

2010(H22)-05-07, 115系@芦原中学校裏付近。
国鉄 信越本線(#14,17,51,63,66,93)
1980(S55)-04〜1982(S57)-04の頃は、小諸から上野行、直江津以遠行きなど、夜行列車を含む多彩な列車が走っていた。
JR移管後も華やかな状態が続いたが、1997(H09)-10-01の長野新幹線開業で、横川〜軽井沢がバス転換、軽井沢〜小諸〜篠ノ井が しなの鉄道に移管され、長距離列車は来なくなった。
国鉄バス 高峰高原線(#92,95,特別)
1957(S32)-07-02 浅間線(→浅間南線) 小諸駅〜浅間山荘が開業。後に、浅間橋(→浅間登山口)〜車坂峠〜高峰温泉口(→高峰温泉)も開業。
1962(S37)-10-13 浅間北線(→鹿沢菅平線) 農場前〜車坂峠が開業。後に、浅間線は浅間南線に改称。
一般に登山は夜中に登り頂上でご来光を仰ぐことがひとつのならわしである。
ここ浅間山の登山客も例に漏れず小諸駅に20時から23時にかけて押しかけてくる。
したがって夜間運転しなければならない。
しかし、その数を確認する方法がないので、過去の経験と駅側の連絡により予め車両と要員を確保する。
又、日曜日の朝などは京浜方面から夜行列車でサラリーマン達がどっと押しかける。
定期ダイヤまでまっていたのでは朝のラッシュ時と重なり保有車両で輸送しきれなくなるので、已むなく早朝の臨時便を増発するなど若肉の策を講じなければならない時もある。
車坂峠と新鹿沢温泉とを結ぶ道路が開通し去る10月13日から小諸〜草津温泉・長野原間に当事務所(→信濃地方自動車事務所)と関東地方自動車事務所間とで相互運営を開始した。
『国鉄自動車/部内誌』#15 1962(S37)年11.12月合併号より引用
1967(S42)-06-04改正 ※現在のバス時刻表ではありません。
小諸 水源地 浅間
山荘車坂峠 高峰
温泉口高原
ロッヂ新鹿沢
温泉鹿沢
温泉長野原 運転期間 長野原 鹿沢
温泉新鹿沢
温泉高原
ロッヂ高峰
温泉口車坂峠 浅間
山荘水源地 小諸 運転期間 5:30 5:55 = 6:40 日祭のみ運転 7:25 7:50 8:10 7/1〜11/5まで
日祭のみ運転6:20 6:45 7:12 7/1〜11/5まで
日祭のみ運転7:50 8:10 7:20 7:45 7:15 = 8:00 8:20 日祭のみ運転 7:50 8:15 = 9:00 9:05 通年 9:30 9:35 = 10:20 10:40 通年 8:45 9:10 9:37 10:35 11:00 11:20 10:20 10:45 = 11:45 11:40 11:50 12:35 12:50 7/20〜10/31 9:40 = 10:50 11:45 12:00 12:05 = 12:50 13:10 7/20〜10/31 11:50 12:15 = 13:00 13:05 通年 13:35 13:40 = 14:25 14:45 通年 13:15 13:40 14:07 15:15 15:40 16:00 14:20 14:45 = 15:45 15:40 15:50 16:35 = 17:40 7/20〜10/31
小諸〜高峰高原
口間通年運転14:35 14:55 15:50 16:05 16:10 = 16:55 17:15 7/20〜10/31
小諸〜高峰高原
口間通年運転15:40 16:05 = 16:50 16:55 7/20〜8/21 17:05 17:30 17:50 5/1〜11/5 16:05 16:30 16:57 5/1〜11/5 18:00 18:20 17:30 17:55 17:25 17:30 = 18:15 18:35 7/20〜8/21 18:20 18:45 18:50 19:10 19:45 20:10 20:15 20:35
1971(S46)-07-10 浅間南線 高峰温泉口〜湯ノ丸が開業。後に、高峰高原線(小諸駅〜車坂峠〜湯ノ丸,浅間橋〜浅間山荘)に改称。
1972(S47)-09-16 鹿沢菅平線 農場前〜高峰ロッヂ(→高峰高原スキー場)を廃止。高峰ロッヂ〜車坂峠を高峰温泉線へ移管。
#特別で、早朝登山・早朝下山のバスが無い事になっているが、1975(S50)年の時刻表には、休日運転ではあるが、早朝に小諸〜車坂峠を往復するバスがあるので、日の出を仰ぐのは無理と思うが、学校に間に合う時間に小諸市内に帰ってくることができたようだ。
高峰温泉〜湯ノ丸の運行は、1975(S50)年の時刻表では確認できるが、後に休止となったようで、1985(S60)年の時刻表では確認できない。
国鉄バスから、JRバス関東に移管。2004(H16)頃までは、水源地(→きのこの森)までの区間便があったが、後に廃止。現在は、高峰高原に向かうバスが一日2往復するのみである。
1987(S62)-11-04改正 ※現在のバス時刻表ではありません。
小諸駅 7:30 9:00 9:30 10:30 12:00 13:45 14:35 16:20 17:20 18:50 高峰スキー場 = = = 10:40 11:30 = = 16:00 = = = 小諸善光寺 7:37 9:07 9:37 10:37 12:07 13:52 14:42 16:27 17:27 18:57 車坂峠 = = = 10:45 11:35 = = 16:05 = = = 軽石 7:43 9:13 9:43 10:43 12:13 13:52 14:42 16:33 17:33 19:03 浅間橋 = = = 11:04 11:54 = = 16:24 = = = 水源地 7:49 9:19 9:49 10:49 12:19 14:04 14:54 16:39 17:39 19:09 水源地 6:55 7:55 9:25 11:09 11:59 12:25 14:10 16:29 16:45 17:45 19:15 浅間橋 = = 9:52 10:52 = = 14:57 = = = 軽石 7:00 7:59 9:30 11:14 12:04 12:30 14:15 16:29 16:50 17:50 19:20 車坂峠 = = 10:13 11:13 = = 15:18 = = = 小諸善光寺 7:06 8:05 9:36 11:20 12:10 12:36 14:21 16:40 16:56 17:56 19:26 高峰スキー場 = = 10:18 11:18 = = 15:23 = = = 小諸駅 7:14 8:14 9:44 11:28 12:18 12:44 14:29 16:48 17:04 18:04 19:34 記 事 土曜のみ運転
日祭休校日運休 記 事 日祭
運休土曜のみ運転
日祭休校日運休
千曲自動車 佐久上田線(#61,92)

時期、撮影場所 不詳。
千曲自動車(→現在は千曲バス)は佐久市野沢に本社があり、この佐久上田線(臼田/勝間〜小諸〜上田/下秋和)は看板路線で、当時は本数も多かった。 当時は、佐久上田線の他、北国街道線(小諸〜軽井沢)も利用できたが、現在は、佐久上田線以外の路線の大半が自治体コミュニティバスに移管された。
路線バス 小諸駅〜御牧ヶ原高(#95)
「駅まで15分歩いて、さらに電車で20分だ」
→小諸駅から20分だと上田駅・岩村田駅・軽井沢駅になる。御牧ヶ原へ行くなら、小諸駅か田中駅からバスに乗る。
貸切バス 芦ノ原中学校 7号車(#52)
長野電鉄 三才線(どっぐ#3)
現在は、長電バス(←長野電鉄より移管) 2系統 三才線として運行。現在の主な停留所は、以下の通り。
どっぐ#3から、その喫茶店は、1974(S49)年には存在し、1977(S52)年3月頃には更地になっていることがわかる。
現在、バスの経路である長野大通りは、1981(S56)年に開通、その下を長野電鉄(鉄道)が走っている。それ以前は線路で、以前のバス通りは、その東側だったようだ。
そのほか、現在のバスルートは新道を通るなど、現在と異なっていると思われる。
当時のバス経路は、以下の通りと推理する。
妖精館のモデルとなった喫茶店はカントカ坂下の前にあり、カントカ坂下は、ナントカ堂前の次の次のバス停である。
ナントカ堂前は、語感から権堂を思わせるが、「長野駅前の商店街」と矛盾する。権堂より「かるかや山前」の方が相応しい。
ただし、かるかや山前バス停の次の次は、千歳町バス停となり「坂下」と矛盾する。
権堂入口バス停の次の次は、横山南バス停で、鉄道の善光寺駅下駅付近にあり、相応しい。横山南バス停付近に、らんぷ堂なる店があったが、喫茶店だったかどうかは不明である。
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小諸市内には、小諸高・小諸商業高の2校しかない。
小諸市は第2学区になり、同一学区には、上田高・上田染谷丘高・上田千曲高・上田東高・東御清翔高・丸子修学館高・蓼科高・望月高・岩村田高・臼田高・北佐久農業高・小海高・軽井沢高・野沢北高・野沢南高・私立の佐久高(現 佐久長聖)がある。
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#唯は、1年2組が舞台。まさたか、唯、ヒロ、美晴の他、山口、岩井、市野、友田が在籍。顔を見ると、フランケンシュタイン、西尾、笹沢、らんぼう、チュー太郎、恐竜?も在籍?
上図の他、2年7組には、依田(#2)が在籍していたはずだが、転校したのか?
2年から3年に上がる時には、クラスがえが無かった。
詳しくは、出演者一覧(「小山田いく」かくれ家)や小山田キャラクター生誕年度表(鈴見咲ページ)を参照。
そうじ(#唯〜)、登下校(#唯〜)、授業(#唯〜)、校舎裏(#唯〜)、ケンカ(#唯〜)、相合傘(#唯〜)、イタズラ(#2〜)、美術部(#3〜)、サッカー部(#3〜)、柔道部(#3〜)
小学生(#8,42,87)、1年生(#唯,6,27,45)、2年生(#春雨,三角,1〜46)、夏休み(#13〜18)、冬休み(#35〜36)、春休み(#46〜47)、3年生(#47〜96)、夏休み(#63〜68)、冬休み(#85〜86)、卒業生(#97〜101)、美術部長(#28〜74)
金的(#唯,春雨,1,5,44)、廊下に立たされる(#唯,12)、キス/キョーレツな体験(#唯,2,7,23,32,55,89)、転校(#唯)、軽音楽サークル(#春雨)、購買部(#春雨)、秘技(#春雨,1,3,5,20,27,60,99,特別)、更衣室のぞき(#三角,37,60)、家庭訪問(#三角)、スカートめくり(#三角,23,43,72,76,88)、居残り(#1)、保健室(#2,31)、タバコ(#2,88)、給食(#2,5)、図書室(#3,10)、スケッチ(#4,10,11,22,23,33,56,78,91,100,101)、誕生パーティ(#7,37,55,67)、写真部(#8,37)、人気投票(#9)、中間試験(#9)、絶交(#9)、吹奏楽部(#10,38,48,53,74)、生物部(#11,14,16,34,48)、宿直(#11,32)、水着(#12,14,60)、終業式/通知表(#13,45)、海(#13,14)、七夕(#15)、きもだめし(#16,67)、夏休み作品展(#19)、演劇部(#20,70)、文化祭(#21,22,70,71)、合唱(#22)、フォーク・ダンス(#22)、運動会(#26)、陸上部(#26)、便所そうじ(#26)、剣道部(#34)、クリスマスパーティ(#35,84)、プレゼント交換(#35)、飲酒(#35,78)、スキー/サーフ・スキー/雪遊び/雪合戦/雪玉(#36,40,85,89,92,96)、バレンタインデー(#41,91)、進路/面談/入試/受験勉強(#42,43,53,54,73,77〜97)、お別れ会(#44)、卒業(#45,90,96)、入部/部員獲得競争(#45,48)、ダイエット(#46)、書道部・陸上部・華道部(#48)、プール(#60)、カンニング(#61)、リクリエーション大会(#79)、春休み(#46-47)、ラブレター(#62)、ハイキング(#68)、用務員(#69)、きのこ狩り(#75)、新聞部(#79,80)、リクリエーション会(#79)、大みそか/初もうで(#85)、タコあげ大会/タコ合戦(#86)、年賀状(#87)、同級会(#87)、クッキー・デー(#91)、日記帳(#99)
呪いのワラ人形(#唯,春雨,35,37,87)、呪いの泥人形(#春雨,37)、手編み(#春雨,35)、ウカレネコ(#1,35,55,83)、木もれ日(#4)、不良(#5)、イーゼル(#6)、小諸馬子唄(#8)、北欧神話/ビフロストの橋/アスガルド(#10,99)、ホタル(#11)、清文スキヨウワキすっか(#12,17)、はたた神(#13)、不知火/肥前風土記(#14)、レイバン(#14)、
"アメリカン・フィーリング" サーカス 1979(S54).5(#唯)、くらたまりこ(#三角)、"Wake Up" 財津和夫 1979(S54).12(#1)、"道化師のソネット" さだまさし 1980(S55).2(#3)、"風の篝火"@夢供養 さだまさし 1979(S54).4(#11)、"防人の詩" さだまさし 1980(S55).7(#16)、"あいつ"@ファーストアルバム 風 1975(S50).6(#16)、"川崎のキツネさん"@イルカのうた シュリークス 1974(S49).2(#16)、交響詩 ガンダム/SYMPHONIC POEM GUNDAM 1980(S55)(#26)、"最終案内"@風見鶏 さだまさし 1977(S52).7(#30)、"みるくは風になった"@印象派 さだまさし 1980(S55).10(#30)、"昴" 谷村新司 1980年(#31)、"ルビーの指環" 寺尾聡 1981(S56).2 (#57,67)、"驛舎" さだまさし 1981(S56).2(#62)、"魔界転生" 沢田研二/ジュリー/天草四郎 1981(S56)年(#67)、谷村新司(#86)、"あの素晴しい愛をもう一度" 加藤和彦・北山修 1971(S46).4(#90)、"センチメンタル・ジャーニー" 松本伊代 1981(S56).10(#92)、"Der Letzte Abend/故郷を離るる歌" ドイツ民謡(#98)
小山田いく先生(#唯,18,46,50,51,54,55,58,59,69,75)、とり・みき先生(#6,28,41,46,49,50,52,53,58,59,69,75,79,84,85,86,ぶるう#17,21,24,28,どっぐ#4)、バラの進さま(#47)、るんるんカンパニー/とり・かま学園/くるみ/秋田先生(#42,55,66,73,78),神矢みのる先生(#78,79)
ドラえもん/どさえーもん/ママにしかられるン…(#唯,1)、らんぽう/チュー太郎(#唯,三角)、仮面ライダー/ショッカー/2号/V3/X/アマゾン/スカイ(#唯,11)、ウルトラマン(#唯)、ブッシュマン(#唯)、志村けん(#春雨)、日本生命/ミッセイのおばちゃん(#春雨)、宇宙戦艦ヤマト(#春雨,4)、赤胴鈴之助/気は やさしくて 力なし(#三角)、あしたのジョー(#1)、元祖どっきりカメラ/先祖どきどきかめら(#3)、、ゴジラ(#7)、機動戦士ガンダム/ザク/ドム/ビク・ザム/ズゴック/モビルスーツ/マチルダ・アジャン(#12,13,19,21,26,61,62,70,79)、宮崎美子(#12)、ドカベン/不知火(#14)、ムーミン(#20)、合体ロボ(#43)、水戸黄門/スケさん/カクさん/ご隠居(#43)、タイガーマスク/力が正義なのではない 正義が力だ(#56)、熱笑!!花沢高校(#57)、ど根性ガエル(#58)、ジャッキー・チェン/マッキー・チェン(#88)、山川千秋/逸見政孝/たまるみすず(#89)、内山亜紀(#91)、六神合体ゴッドマーズ/ファイナルゴッドマーズ!!(#100)、太陽戦隊サンバルカン/太陽剣・オーロラプラズマがえし(#100)、大戦隊ゴーグルファイブ/地球剣・電子銀河切り(#100)
札幌(#唯,89)、納沙布岬(#8)、宗谷岬(#8)、帯広(#71)、津軽海峡(#89)、樹氷の見える所(#92)、八郎潟、田沢湖(#65)、直江津?海岸(#14)、新潟(#36)、東京(#17,53)、みすたーどーなっつ神田店(#19)、湘南(#63)、飛騨高山(#65)、八代海(#14)、沖縄(#19)、アフリカ(#唯)、ユーラシア大陸/大西洋/アメリカ大陸(#64)、ヨーロッパアルプス(#83)、北極点(#92)
小山田いく作品の小諸ガイドブック
このサイトと同じテーマで構成も似ている。しかし完成度は数段上。脱帽です。
こちらのサイトを知っていたら、自分でサイトを作る気にはならなかったでしょう。本文中にリンクを張ると、ほぼ全ての項目からリンクすることになるため、こちらで紹介させていただきます。お勧めです。
小諸市観光協会
懐古園・浅間山・高峰高原情報・宿泊・食事・温泉など

小諸観光交流館/観光案内所(大手1-6-16)でも、オリジナルポストカード「猫のいる小諸の風景」(絵:小山田いく・企画発行:飛天WEB)を無料配布中。
運が良ければ、小山田いく先生の4コマ漫画「ズミちゃん」(ズミちゃん保存準備会/小諸市公民館)も入手できるかも。
NPO法人小諸町並み研究会
北国街道の観光に「城下町&文学のめぐり道マップ」は入手しておきたい。スタンプラリーの台紙にもなっている。
ほんまち町屋館、高濱虚子記念館、北口街道与良館は、訪問したい。
小山田いく先生オリジナル画 壁紙・スクリーンセイバー (小諸市)
小諸観光地の壁紙・スクリーンセーバー。
ある日、旅先の古本屋で『すくらっぷ・ブック』に出会う。タイトルに覚えがあったので、試しに1冊(真ん中を取って5巻目)だけ買ってみた。
親しみのある小諸が舞台である事と、主人公と同じ学年という事で、物語の舞台を歩いたり、当時を知りたくなり、こんなページを作ってみた。
巡礼履歴
更新履歴
\ \ o o - ふもふも館長