1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 九州地方自動車部

2017-04-13

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【901】直方線 2015-10-12 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇直方線   直方本線    1 直方−博多    2 宮田町−鞍手町立病院前    3 宮田町−小竹    4 筑前磯光−幸袋中    5 筑前中山−七福    6 筑前芹田−筑前山崎    7 福丸−下有木    8 福丸−筑前日吉    9 小金原−筑前下    10 黒目橋−清水口−脇田温泉    11 山の神−猪野    12 中久原−東久原    13 山の鼻−蒲田団地    14 箱崎駅前−千代町   上野線    1 勘六橋−上野峡    2 溝堀三丁目−武谷    3 筑前上境−内ヶ磯    4 福地校前−永満寺団地−たかとり園前    5 永満寺団地−養護学校前    6 たかとり園前−いこいの村    7 原田町−赤池   飯塚線    1 宮田町−新飯塚   福間線    1 福丸−福間    2 原の前−筑前畑 1.2 路線略図       ○鞍手町立病院前       |       |       直方     室木○        ◎       |   鞍手高校前|もちだんご村       +      ○−+  ☆======○養護学校前  福丸  /‖本城   /  |  ‖      |  <−−○−○−−−○+−−−○==・ 永満寺団地|  宮田町+    百合野   |勘六橋    ・−○ たかとり     |\       溝堀| 筑前上境 /  | 園前     | \筑前磯光 三丁目○−−○−−○………+−−○+−○内ヶ磯     |  ○−−−○水町 |  | 福地校前     |     |  |   |   |  |          ○いこいの村     |  |筑前 |   |  |原田町  幸袋中○−−○中山 ◎   ○  ○−−−−−−○上野峡     |  |   小竹  武谷 |     |  |          |  新飯塚◎  ○七福    ◎赤池                         福間◎                           |                           | 筑前山崎                       筑前畑 |   ○                        ○−−○原の前|       蒲田団地  猪野 清水口 竹原古墳   |   |         ○ 中  ○   ○−○−・    |   ○下有木         | 久  |   |  \ \   |  /|     /\  | 原  |   |小金原\ \  | / | 宮田町  ◎−○−−◎−○−○+−○−−○+−○−−+○+−+○−−○−−−>  博 千  箱 山  | 山  脇  |  黒目橋/ 福  筑  多 代  崎 の  | の  田  |    /  丸  前    町  駅 鼻  ○ 神  温  ○−−−・      芹       前   東久原   泉  |筑前下       田                    |                    ○                  筑前日吉  ※福地校前〜たかとり園前は、休止中  ※直方〜鞍手高校前〜百合野、黒目橋〜竹原古墳は、路線名称に無い 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・直方線は、1943(S18)年2月1日に、直方本線(福間〜福丸〜宮田町〜直方、福丸  〜筑前脇田)、飯塚線(宮田町〜新飯塚)、博多線(博多〜中久原)として開業  したのがルーツであった。 ・同年7月15日から博多〜博多港間において、旅客、手荷物、小荷物扱い貨物の自  動車連絡が開始された。 ・戦後は、犬鳴隧道の開通に伴い、1950(S25)年8月10日に筑前脇田〜犬鳴峠〜猪野  大神宮前〜中久原が開業し、直方と博多がバスで結ばれた。 ・1952(S27)年7月25日に福間線福間〜古賀病院前、同年9月15日に直方〜勘六橋、  同年12月1日に勘六橋〜赤池、原田町〜上野峡(後の上野線)の各区間が開業した。 ・1953(S28)年2月1日に呉服町〜博多港前が開業した。この区間は博多〜博多港の  鉄道・航路旅客の自動車連絡区間を一般路線化したものであった(1966(S41)年4  月11日廃止)。 ・1956(S31)年11月19日に上野線岡森橋〜内ヶ磯、同年12月20日に福丸〜筑前日吉、  1957(S32)年5月10日に宮田町〜小竹、同年8月10日に直方〜龍徳の各区間が開業  した。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)によると、直方線は、筑豊本線と鹿児島本線  とを直方駅及び博多駅で連絡する鉄道の短絡路線の使命を有していた。また、直方  線の特長として、産業の基盤である石炭の宝庫北九州の炭都直方市及び飯塚市と西  日本の政治経済文化の中心地である福岡市を結ぶ短絡路線であって、炭田地帯から  県都福岡に往来する人は極めて多く、そのために毎日十数往復の急行便を運転して  いると述べられていた。 ・1958(S33)年8月17日に中有木〜下有木、同年11月28日に新楽町〜千代町、新楽町  〜箱崎駅前〜千代町の各区間が開業した。 ・1959(S34)年2月24日に福間線原の前〜筑前畑、同年4月16日に猪野大神宮前〜筑  前山ノ神、同年10月20日に中有木〜筑前山崎の各区間が開業した。 ・「交通年鑑1959年版」には、国鉄自動車では、自動車輸送の急速な発展の成果を  取り入れて、都市間に急行便を設定して運転系統の中長距離化、スピードアップ  の向上及び車両と要員の合理的運用を進めており、昭和32年度に次のように急行  便を設定したとある。    直方〜博多 44.8km 4往復 ・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、博多〜博多港前の系統が1日32回  運行されており、この当時、既に都市型の高頻度運行がなされていた。また、同書  の1964(S39)年版によると、直方〜博多の系統が1日当たり27回、宮田町〜福丸の  系統が同じく45回運行されていた。 ・1960(S35)年2月1日に筑前磯光〜庄司本村、同年7月10日に上野線勘六橋〜筑前  竹谷の各区間が開業した。 ・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に  も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方  都市間連絡に活躍していると述べられていた。    直方〜博多 28.5km 45往復 ・1961(S36)年5月1日に福間線福間〜呉服町が開業した。 ・1962(S37)年4月16日に新北〜鞍手局前、上野線境橋〜福智農協前、同年12月5日  に飯塚線千石橋〜千石公園、1963(S38)年4月10日に脇田温泉〜乙野の各区間が開  業した。 ・1965(S40)年7月の力丸ダム竣工に伴って、1965(S40)年9月2日に筑前下〜西中畑、  飯塚線千石峡入口〜千石公園が廃止され、福丸〜筑前下〜力丸ダム〜西中畑、飯塚  千力丸千石口〜ダム事務所前が開業した。 ・1966(S41)年7月15日に芦北〜庄司本村が廃止され、芦北〜自衛隊前〜幸袋農協前、  塩頭〜七福団地が開業した。 ・1967(S42)年4月21日に龍徳〜西菅牟田が開業した。 ・1969(S44)年8月11日に猪野〜猪野大神宮前が廃止され、同年8月13日から乙野〜  清水口、筑前土井〜蒲田団地が開業した。 ・1970(S45)年5月5日に毛勝〜筑前中山、筑前上境〜つつじ園前が経路変更された。 ・1971(S46)年10月14日に直方〜篠塚〜龍徳が廃止された。 ・1972(S47)年3月15日に上野線溝堀三丁目〜岡森橋、福間線福間中学前〜古賀病院  前の各区間が廃止された。 ・1975(S50)年1月8日に上野線永満寺団地〜養護学校前が開業した。新犬鳴トンネ  ルの開通に伴って、同年12月3日に司書橋〜白木橋が廃止され、同年12月4日に司  書橋〜犬鳴口〜白木橋が開業した。 ・1978(S53)年12月1日に中久原〜東久原、西菅牟田〜毛勝、鞍手局前〜鞍手大橋、  上野線つつじ園〜いこいの村の各区間が開業した。 ・1981(S56)年9月13日に福間〜福間中学校前が廃止された。 ・1983(S58)年6月20日に龍徳〜水越〜筑前磯光、筑前磯光〜菅牟田校前〜毛勝、飯塚  線千石峡入口〜ダム入口の各区間が廃止された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、直方線には  次のような系統が設定されていたのを確認できる。    直方〜博多(急行・快速便) 15往復(所要1時間45分)    新飯塚〜宮田町 24往復(所要35分)    福丸〜福間 17往復(うち休日運休下り1本)(所要35分)    直方〜上野峡 7往復(所要34分)    赤池〜上野峡 2往復(所要18分) ・1985(S60)年当時、(自)直方、宮田町、福丸に自動車駅(バス切符売場)があった。  また、国鉄バス運行の拠点として、直方自動車営業所(直方)、同福丸支所(福丸)、  同博多支所(福岡市内)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月28日に、犬鳴ダムの建設に伴って観音滝〜犬鳴口が廃止され、観音  橋〜司書橋〜犬鳴口が開業した。同日、直方〜博多の高速バス(九州道宮田IC〜福岡  IC経由)運行開始に伴い、直方バスセンター〜直方、沼口〜宮内(九州縦貫自動車道)  の各区間が開業した。また、同日、下脇田〜脇田温泉口〜司書橋が開業した。 ・国鉄民営化を経て、直方線はJR九州に継承された。 ・1987(S62)年7月1日に筑前上境〜上野峡、原田町〜赤池が休止された。また、  宮田町〜筑前中畑が廃止されて本城〜筑前中畑が開業した。さらに、同日から  鞍手駅乗り入れを開始した(鞍手局前〜鞍手駅前が開業)。 ・1988(S63)年6月22日に東久原〜篠栗が開業し、篠栗駅乗り入れを開始した。 ・同年7月1日に福間〜粟島神社前〜福間が開業した(原町団地乗り入れ)。 ・同年11月10日に原田町〜赤池が廃止された一方、勘六橋〜養護学校前が開業した。  また、同年11月30日に筑前上境〜上野峡が廃止された。 ・1989(H1)年3月11日に水町〜小竹が廃止された。一方、同年12月23日にJR宮田  線の廃止に伴って転換バスを運行開始した(宮田町〜筑前宮田が開業)。 ・1991(H3)年1月24日に畦町〜立石〜内殿、立石〜八並公民館前が開業した。同年  4月1日に委託駅(自動車駅)の(自)直方が停留所化された。 ・1993(H5)年6月末限りで直方〜博多の高速便がJR単独運行となった(直方〜直  方バスセンターを廃止)。 ・「直方線バスダイヤ主要駅間時刻表」1993(H5)年7月1日改正によると、直方線  には次のような系統が設定されていた。   直方〜博多 平日 下り13本・上り14本(所要1時間30分)         日祝 12往復(所要1時間30分)   直方〜観音滝 平日 下り1本・上り2本(所要47分)          日祝 下り1本(所要47分)   直方〜脇田 平日 下り2本・上り3本(所要43分)         日祝 下り1本(所要39分)    直方〜福丸 平日 下り26本・上り23本(所要34分)         日祝 下り13本・上り16本(所要30分)   直方〜宮田 平日 下り7本・上り6本(所要22分)         日祝 下り6本・上り3本(所要20分)   直方〜山崎 平日 下り1本・上り3本         日祝 上り2本   直方〜上有木 日祝 下り1本   直方〜筑前宮田 6往復(所要23分)   宮田〜山崎 平日 下り1本   宮田〜福丸 平日 4往復(所要10分)         日祝 下り5本・上り2本(所要10分)   福丸〜観音滝 上り1本(所要13分)   福丸〜脇田  上り1本(所要14分)   山の神〜博多 平日 下り29本(うち蒲田経由4本、東久山経由2本)・上り             29本(うち蒲田経由3本、東久山経由4本)(所要50分)          日祝 下り23本(うち蒲田経由3本、東久山経由2本)・上り             23本(うち蒲田経由3本、東久山経由4本)   直方〜博多(高速)平日 下り2本・上り1本(所要1時間14分)            日祝 1往復(所要1時間14分)   宮田〜鞍手 下り8本(うち日祝運休2本)・上り9本(うち日祝運休3本、    日祝運行1本)(所要32分)   新北〜鞍手 上り1本(所要13分)   山の神〜篠栗 平日 6往復(所要10分)          日祝 5往復(所要10分)   直方〜内ヶ磯 下り12本・上り14本(うち日祝運休1本)(所要35分)   直方〜養護学校 6往復(うちバイパス経由(日祝運休)1往復、日祝運休2    往復)(所要25分)   直方〜武谷 1往復(所要18分)   宮田〜山崎 下り2本(日祝運休)・上り3本(うち日祝運休2本)(所要19    分)   福丸〜山崎 下り7本(うち日祝運休2本)・上り6本(うち日祝運休2本)    (所要14分)   宮田〜病院前 1往復(所要17分)   福丸〜日吉 5往復(うち日祝運休2往復、土日祝運休1往復、土曜運行1往    復)(所要25分)   宮田〜千石〜新飯塚 21往復(うち日祝運休4.5往復)(所要35分)   宮田〜毛勝口〜新飯塚 4往復(うち日祝運休下り1本)(所要53分)   宮田〜毛勝口 2往復(うち日祝運休1往復)(所要23分)   宮田〜水町 2往復(所要12分)   自衛隊〜新飯塚 1往復(所要21分)   七福〜新飯塚 1往復(日祝運休)(所要25分)   福丸〜清水口 1往復(日祝運休)(所要11分)   福丸〜大徳 上り1本(日祝運休)(所要21分)   福丸〜下〜温泉口〜清水〜福丸 下り1本・上り6本(うち日祝運休2本、土    曜運行1本、土日祝運休1本)(所要27分)   福丸〜福間 下り13本(うち日祝運休8本、日祝運転1本)・上り12本(うち    日祝運休7本)(所要27分)   福丸〜原ノ前 1往復(日祝運休)(所要11分)   福丸〜見坂峠 1往復(土曜運行)(所要19分)   本木〜福間 下り15本(うち日祝運休7本、日祝運行4本)・上り14本(うち    八並経由13本、日祝運休6本、日祝運行3本)(所要11分)   福間〜粟島〜福間 15回(うち日祝運休8回、日祝運行2回)(所要15分) ・1994(H6)年11月3日からもちだんご村への乗り入れを開始した。 ・1996(H8)年3月16日に直方〜博多の高速便を休止した。 ・1999(H11)年3月13日に福丸営業所を直方営業所に統合した。 ・2002(H14)年3月23日に一部便が福岡都市高速(呉服町〜浜田)の経由を開始した  (2004(H16)年3月末限りで廃止)。 ・2003(H15)年3月15日にトリアス久山乗り入れを開始した。 ・同年4月1日から福間駅連絡バス「ふくまーる」の運行を開始した。同年6月14  日から新飯塚〜健康の森公園循環バスを運行開始した。 ・2004(H16)年3月末限りで次の区間が廃止された。    黒目橋〜竹原古墳、黒目橋〜吉川校前、小金原〜筑前下(「清水線」)    福丸橋〜筑前日吉(「日吉線」)    原の前〜筑前畑(「筑前畑線」)    筑前芹田〜筑前山崎、福丸〜下有木、水原団地〜四郎丸〜笠松宮前(「山崎     線」)    所田温泉南口〜筑前宮田(「筑前宮田線」)    所田温泉南口〜水町(「水町線」)    筑前磯光〜井ノ浦口、芦北〜七福(「毛勝線」)    溝堀三丁目〜武谷(「武谷線」)    勘六橋〜直方養護学校前、もちだんご村入口〜もちだんご村(「養護学校線」) ・2006(H18)年3月末限りで、本城〜鞍手駅前・鞍手町立病院、勘六橋〜内ヶ磯・養  護学校前が廃止された。 ・2008(H20)年3月末限りで、福津市コミュニティバスの運行開始に伴って、福間〜  粟島神社前〜福間、内殿〜立石〜本木入口、立石〜八並公民館前の各区間が廃止  された。 ・2010(H22)年6月1日、直方支店を福丸車庫用地に移転統合し、福岡中部支店と改  称した。同年12月25日に津田町〜二字町〜鴨生田公園が廃止された。 ・2011(H23)年3月末限りで次の区間が廃止された。    自衛隊前〜幸袋中    グリーンヒル工業団地〜健康の森公園    久山〜東久原    深井〜トリアス久山 ・2012(H24)年4月11日に(福間)「さいごう口イオンシャトル線」を運行開始した。 ・2013(H25)年3月16日に井ノ浦口〜自衛隊前が廃止された。 ・2015(H27)年3月末限りで「駅ばすふくまーる」が廃止された。 ・1985(S60)年当時、バスが発着していた直方バス乗り場は、自動車営業所を兼ねた  趣ある建物であったが、近年解体され、現在は鉄道駅付近にバス乗り場が移転した。 ・1985(S60)年当時よりバス路線は縮小傾向にあり、2010(H22)年までに大半の枝線が  廃止された。 ・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。  ◇直方〜鞍手高校前〜宮田〜福丸〜博多 JR九州バス  ◇福丸〜福間 JR九州バス  ◇宮田〜新飯塚 JR九州バス  ◇直方バスセンター〜勘六橋〜百合野(〜尾勝〜)北校下〜磯光〜西菅牟田                    (〜筑前宮田〜宮若市役所) 西鉄バス筑豊  ◇直方バスセンター〜溝堀三丁目〜筑前上境〜たかとり園前 西鉄バス筑豊  ◇宮田〜室木〜鞍手局〜鞍手駅 西鉄バス筑豊 鞍手町すまいるバス わかみや線 2.3 各種考察 ・S60年前後に、津田町〜鞍手高校前〜鴨生田公園が開業した模様。ただし、二字町  経由の方が距離が長そうである。この区間は「自動車線普通旅客運賃表」に掲載  されていないため、同区間を切符に組み込む事は出来なかった。                 直方◎−−・                      |                      ○津田町           鞍手高校前  殿町  |             ○−−−−○−−−+     直方保健所前 /         ○市役所前   (→西部運動公園)○          |          /           |       バイパス経由   博多    /   打向 二字町   ○勘六橋    もちだんご村   <−−−−○−−○−−○−−○−−○−+−−+====>養護学校前      鴨生田 直方       新町 ・  |      公園  訓練校前        ・  ○溝堀一丁目         (→鴨生田公園入口)    ・  |                         ∨上野峡 ・S60年前後に、黒目橋〜竹原古墳の別区間が開業した模様。ただしキロ程の設定が  ないため、高野橋経由と竹原口経由のどちらの距離が長いのか判明しない。この  区間は「自動車線普通旅客運賃表」に掲載されていない。  もともと黒目橋〜竹原古墳の間にはバス停が無く、この頃バス停が設置され、別  区間も開業したと推測。運行形態も不明である。     竹原古墳       福間  下有木   <−−−○−−○竹原    Λ   Λ   清水口  \  \     |   |      高野橋○  ○竹原口 |   |          \  \   |   |   <−−−−−−−+○−+−−○−−−○−−−−−−>   博多     黒目橋 福丸橋|  福丸 ★   直方                 |    福丸車庫              筑前下∨  (→福岡中部支店)

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【902】山鹿線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇山鹿線    1 瀬高−肥後大津    2 山鹿中央−山鹿温泉    3 山鹿中央−鹿本高校前−商工学校前    4 原部−石淵−水島    5 菊地温泉口−菊地温泉 1.2 路線略図              鹿本高校前   石淵  菊地温泉     南 鍋 山鹿 ・−−−○−・    ○    ○−・  産業  瀬高 関 田 温泉 |山鹿中央 |   / \水島 | |  高校前  ◎−−○−○+・○−+○−○−−○−−○−○−○−−○−○−○−○−◎        |   |  日 商工  原 中   菊地 北 伊  肥後        ・−−−・  置 学校前 部 富  温泉口 原 坂  大津  ※菊池温泉〜北原は、路線名称に無い 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・山鹿線は、1935(S10)年8月21日に肥後大津〜南関、1941(S16)年12月1日に南関  宮前〜矢部川(→瀬高)が開業したのがルーツで、鹿児島本線と豊肥線を瀬高駅  及び肥後大津駅で連絡する鉄道の短絡路線であり、全線が鉄道敷設法の予定線に  該当し、鉄道の代行路線の使命をも有していた。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)には、山鹿線の特長として、本路線は熊本  県北部平野を横断する地方産業開発路線であると述べられていた。 ・戦後は、1959(S34)年12月16日に隈府〜隈府温泉が開業した。 ・1969(S44)年8月13日に山鹿温泉〜鹿本高校前〜商工学校前が開業した。 ・1978(S53)年12月11日から鍋田〜山鹿温泉が廃止されて、鍋田〜山鹿中央が開業  した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、山鹿線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    瀬高〜山鹿温泉 下り11本(うち休日運休1本)・上り13本(うち休日運休     1本、休日運転1本)(所要1時間10分)    山鹿温泉〜肥後大津 下り13本(うち休日運休1本、休日運転1本、菊池温     泉経由7本)・上り12本(うち菊池温泉経由7本)(所要1時間15分)    山鹿温泉〜菊池温泉 2往復(うち休日運休1往復)(所要35分) ・1985(S60)年当時、山鹿温泉には自動車駅(バス切符売場)があった。また、国鉄  バス運行の拠点として、山鹿自動車営業所(山鹿温泉)が置かれていた。 ・菊地温泉口には、バス切符売場があった。場所は、熊本電気鉄道の菊池駅、現在  の菊池プラザの一角にあった。 2.2 旅から30年 ・国鉄民営化を経て、山鹿線はJR九州に継承された。 ・1988(S63)年3月14日に原部〜五反田〜梶屋橋が廃止された。 ・1990(H2)年3月31日から山鹿温泉〜熊本空港の直通バスを運行開始した(九州産交  と共同運行)。(1995(H7)年10月1日休止) ・1991(H3)年4月1日に菊池温泉駅(委託駅)が廃止されて、停留所となった。 ・「JR九州バス山鹿線時刻表」2004(H16)年3月13日改正によると、山鹿線には次  の系統が設定されていた。   瀬高〜山鹿温泉 平日9往復・土曜8往復・日祝8往復(所要1時間2分)   瀬高〜下北関 平日1往復・土曜1往復(所要16分)   南関〜山鹿温泉 平日3往復(所要32分)   山鹿温泉〜肥後大津 平日11往復(うち菊池温泉経由下り3本・上り4本)・    土曜10往復(うち菊池温泉経由下り3本・上り4本)・日祝8往復(うち菊池    温泉経由下り2本・上り3本)(所要1時間12分)   山鹿温泉〜菊池温泉口 平日1往復(所要26分)   山鹿温泉〜鹿本高校前〜商工学校裏〜山鹿温泉 平日各1回(所要29分)   伊坂〜肥後大津 土曜1往復(所要9分) ・2006(H18)年2月末限りで山鹿線は全廃され、山鹿営業所も廃止された。 ・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。  ◇南関ターミナル〜山鹿市役所前 産交バス 南関線(三加和経由)  ◇山鹿バスセンター〜菊池プラザ〜肥後大津駅 産交バス 大津線  ※瀬高〜南関は、バス無し 2.3 各種考察 ・連載誌に記載されていた山鹿略図は、以下の通り。            |      (西鉄バス) |      国営バス前★+○国鉄山鹿温泉駅            |            |★山鹿市役所     温泉   末広|     プラザ前 ★ |★九州産交バスセンター   <−−−−○−−−△−−−−−−−−−−−−>   瀬高から  温泉 |上広町十字路  鹿本高校へ         プラザ|            ○山鹿中央   西鉄バスセンター★|            |★山鹿郵便局            |            ∨          菊池温泉へ ※補足「
菊池温泉付近の経路の変遷
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【903】北薩線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇北薩線   北薩本線    1 鹿児島−米ノ津港    2 鹿児島−桜島桟橋−西鹿児島    3 鹿児島−桜島桟橋−鹿児島    4 西鹿児島−玉江校前    5 薩摩郡山−薩摩大浦    6 賦合−東俣    7 鹿原−登尾   北薩東線    1 薩摩塚田−花尾−薄原−山ノ口    2 永山口−蒲生町    3 花尾−花尾口 1.2 路線略図         ○米ノ津港         |         ◎米ノ津         |         ◎出水         |         |         ○定ノ段        /・  登尾○−−○ ・      鹿原\・         ○尾座原         |     薩摩平川○         |     屋地本町○−◎宮之城         |         |         ○山崎町    ☆いこいの村         |       ‖   副田小学校前○・○入来温泉 ‖         | ・ 藺牟田池○−−○−−○藺牟田(いむた)       入来◎・・       /藺牟田|         |  藺牟田温泉 / 池口 |      牟多田○−−−○−−−○・・・・・○浦川内    (→日の丸)|   ・   洗出    |         |   ・         |         |   ・  真黒 真黒口 |      山ノ口○−−−○−−○−−−○==○塞瀬戸         | 北薩長野  \ / \ |         |        ○楓  \|         |        |    ○楠田         |        ○薄原  |         |       /     |         |      ○酒屋段   |   転向場   |     /       ○蒲生町    ☆    |    ○良久      |    ‖    |    |        |    ○薩摩大浦|    ○岩戸      |    |    |    |        ○蒲生上町    |茄子田下○====○岩戸口    / \    |    |    |      /   \    | 花尾口○−−−−○花尾   ○都迫   ∨    |    |    |    /(どんざこ) 帖佐    |    |    |   /       加治木    | 油須木○ 永山口○−−・    |    +    |    |    ‖\賦合 |    |    ‖ ○−−○東俣    |薩摩郡山‖/   |    ・−−−−○    |         |    ○川田下    小山田校前○   /         |  /     薩摩塚田○−・         |         |      ・==○伊敷町     ・   |     ‖   ○玉江校前     ・   +      = /|       ◎−+−−−−+−+−◎鹿児島     西鹿児島     | |    (→鹿児島中央)   ・○・              桜島桟橋  ※加治木〜帖佐〜蒲生町〜藺牟田〜牟多田、楠田〜真黒口〜薄原、真黒口〜真   黒、藺牟田池口〜藺牟田池は、加治木線 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・北薩線は、1947(S22)年3月15日に北薩本線(鹿児島〜宮之城〜出水〜米ノ津  港、柿本寺〜西鹿児島)及び東俣線(薩摩塚田〜花尾〜花尾口)が開業した  のがルーツで、鹿児島本線及び宮之城線の短絡培養路線であり、沿線の各種  資源開発路線という使命を有していた。 ・「鉄道辞典・下巻」(1958(S33)年)には、本路線は鹿児島から薩摩北部すな  わち北薩地区を運行するので、北薩線と命名されたと述べられていた。 ・1951(S26)年10月1日に北薩東線厚地〜岩戸〜薄原〜北薩長野〜山之口が開業  した。 ・1954(S29)年11月15日に賦合〜東俣、1955(S30)年6月1日に鹿児島〜第三桟橋、  1956(S31)年6月21日に入来〜辻原、1957(S32)年3月25日に尾座原〜登尾、同  年7月15日に北薩東線東俣〜薩摩永山〜都迫、同年9月15日に薩摩郡山〜薩摩  大浦の各区間が開業した。 ・1959(S34)年2月24日に桜島桟橋〜石燈篭(いづろ)が開業した。同年6月10日  に北薩東線都迫〜蒲生町、薄原〜真黒が開業した。 ・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に  も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方  都市間連絡に活躍していると述べられていた。    鹿児島〜宮之城 51km 3往復 ・1962(S37)年4月16日に出水〜米ノ津港を沖田経由に変更した。 ・1967(S42)年3月25日に北薩長野〜藺牟田温泉が開業した。 ・1969(S44)年8月13日に鹿児島〜鹿児島港前〜鹿児島、西鹿児島〜中草牟田の各  区間が開業した。一方、同年10月12日に入来〜副田が廃止された。 ・1984(S59)年8月1日に北薩東線北薩長野〜藺牟田温泉が廃止された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、北薩線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    鹿児島〜宮之城 9往復(所要1時間50分)    鹿児島〜花尾 下り7本・上り8本(うち日祝運休1往復)    鹿児島〜薩摩郡山(花尾経由)下り6本・上り3本    鹿児島〜薩摩郡山他にも区間運転ありとの注記 ・1985(S60)年当時、(自)鹿児島、薩摩郡山に自動車駅があった。また、国鉄バ  ス運行の拠点として、鹿児島自動車営業所(鹿児島)及び同宮之城支所(宮之城  町内)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年4月13日に北薩東線岩戸〜良久、真黒〜北薩長野の各区間が廃止さ  れた。 ・国鉄民営化を経て、北薩線はJR九州に継承された。 ・1988(S63)年3月14日に都迫〜蒲生町、花尾〜花尾口、油須木〜郡山郵便局前が  廃止された。 ・同年7月22日から九州道(鹿児島IC〜鹿児島北IC)経由の鹿児島〜宮之城の特急  便「ちくりん号」「かぐや姫号」を運行開始した(1996(H8)年9月18日廃止)。 ・1989(H1)年8月10日から、休止中の鹿原〜米ノ津港の運行を再開した。 ・1990(H2)年8月1日に委託駅(自動車駅)の(自)鹿児島駅が廃止(停留所化)  された。 ・1995(H7)年4月6日に山ノ口〜北薩長野が廃止された。 ・1996(H8)年9月1日に屋地下町〜米ノ津港が廃止された。 ・「JRバス時刻表」1997(H9)年11月29日改正によると、北薩線には次のような系  統が設定されていた。    鹿児島〜宮之城(特急)1往復(所要1時間35分)    鹿児島〜宮之城 下り7本(うち日祝運休、日祝運行各1本)・上り8本(     うち日祝運休1本)(所要1時間49分)    鹿児島〜川田〜花尾〜宮之城 下り2本・上り1本(うち桟橋経由1往復)     (所要1時間46分)    郡山〜宮之城 下り1本(日祝運休)(所要57分)    鹿児島〜甲陵〜郡山 下り22本(うち日祝運休9本、日祝運行1本、学校行事     運行2本、土曜学校行事運行3本、桟橋経由2本)・上り24本(うち日祝運     休10本、日祝運行1本、土曜学校行事運行5本、土曜運行1本、学校行事運     行2本、土曜学校行事運休1本、土日祝学校行事運休2本)(所要51分)    西鹿児島〜甲陵〜郡山 下り1本(日祝運休)(所要43分)    鹿児島〜川田〜花尾〜郡山 下り4本・上り3本(うち日祝運行1本、土曜学     校行事運行1本)(所要58分)    鹿児島〜川田〜西上〜郡山 上り1本(所要49分)    鹿児島〜甲陵〜岩戸口〜花尾 下り1本(日祝運休)(所要52分)    鹿児島〜甲陵〜西上〜花尾 上り2本(うち土日祝学校行事運休1本、土日祝     学校行事運行1本)(所要1時間)    鹿児島〜郡山〜西上〜花尾 下り3本・上り2本(うち日祝運休1本)(所要     55分)    鹿児島〜川田〜花尾 上り2本(うち日祝運休1本)(所要52分)    鹿児島〜郡山〜茄子田 上り1本(日祝運休)(所要50分)    鹿児島〜甲陵〜大浦 下り4本(うち日祝運休1本、土曜運行1本、土日祝運     休1本)・上り5本(うち日祝運休1本、土曜運行1本、土日祝運休1本)     (所要56分)    鹿児島〜甲陵 下り1本(日祝運休)(所要42分)    鹿児島〜甲陵〜西上〜岩戸 上り1本(所要57分)    鹿児島〜郡山〜西上〜岩戸 上り2本(うち日祝運休1本、日祝運行1本)(     所要55分)    鹿児島〜川田〜岩戸 下り1本(所要55分)    鹿児島〜川田〜都迫 1往復(所要59分)    鹿児島〜甲陵〜西上〜都迫 上り1本(所要1時間5分)    鹿児島〜郡山〜西上〜東俣 下り1本(日祝運休)(所要54分)    鹿児島〜川田〜東俣 上り1本(日祝運休)(所要41分)    鹿児島〜西鹿児島 下り2本(うち日祝運行1本)・上り7本(うち日祝運休     4本、桟橋経由1本)(所要13分)    郡山〜西上〜都迫 下り1本(日祝運休)(所要21分)    郡山〜油須木〜岩戸 下り2本(うち日祝運休1本、日祝運行1本)(所要10     分) ・2005(H17)年7月1日から鹿児島郡山地区コミュニティバスを受託し、運行開始した。 ・2007(H19)年8月1日に郡山麓〜薩摩大浦、賦合〜西上〜東俣、永山口〜都迫、岩戸  口〜岩戸の各区間が廃止された。 ・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。  ◇鹿児島駅〜鹿児島中央駅〜薩摩郡山〜宮之城 JR九州バス  ◇鹿児島駅〜鹿児島中央駅〜川田下〜花尾〜薩摩郡山 JR九州バス  ◇(鹿児島空港〜)宮之城〜薩摩平川〜出水バスセンター(〜阿久根) 南国交通  ◇出水バスセンター〜米ノ津港入口(〜水俣車庫) 南国交通 ※補足「
薩摩郡山付近の経路の変遷
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【904】山川線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇山川線   山川本線    1 山川港−利永−薩摩別府−枕崎高校前    2 山川港−徳光    3 西白沢−尾之上   川尻線    1 東大山−川尻港−開聞岳    2 長崎鼻口−長崎鼻 1.2 路線略図        薩摩        別府   板敷○−−−○     |   |     |ウ九病| ※ウ九病=ウエルフェア九州病院     | ☆=+     |   |           頴   唐   東  鰻 山川  尾之上○…○…○−○−○−○−○−○ 娃   船 利 大  入 ◎     | 南 西 東 中 西 石 西\町 開 峡 永 山  口 |山川   枕崎| 板 白 白 塩 門 垣 頴 ○ 聞 ○ ○…○−−○−+港   駅前○ 敷 沢 沢 屋 之 駅 娃 | 岳 : : |\/  +−○     :         浦 前   ○−○…○…・ |/\  |/   枕崎○             開聞駅前| 仙   +大山○ +   高校前                 | 田   | 駅前 ○天神                   開聞山麓○   徳光○……○…+坂                       |    /  竹山口                    川尻港○−−−○長崎鼻口                           |                           ○長崎鼻  ※東大山〜利永〜開聞岳、仙田〜唐船峡、西白沢〜尾之上、枕崎駅前〜枕崎高   校前、山川役場前〜天神坂〜竹山口〜徳光、東大山〜大山駅前〜徳光は、休   止中  ※上井手方〜山川中学校前〜大成校前、鰻入口〜徳光、東大山〜大山駅前、仙   田〜唐船峡、山川港〜天神坂は、路線名称に無い 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・山川線は、1935(S10)年10月6日に山川港〜利永〜薩摩別府〜枕崎が開業した  のがルーツで、1938(S13)年6月1日に東大山〜利永〜開聞岳、東大山〜川尻  港〜開聞岳が開業し、1951(S26)年2月6日に西白沢〜尾之上、1956(S31)年  12月25日に山川港〜竹山口〜徳光及び長崎鼻口〜長崎鼻が開業した。 ・この路線は、国鉄指宿線(→指宿枕崎線)山川駅と南薩鉄道(→鹿児島交通)  枕崎駅とを結ぶ鉄道敷設法予定線に該当し、鉄道の先行・短絡路線であった。 ・1959(S34)年11月1日に枕崎〜枕崎高校前が開業した。 ・1961(S36)年7月1日に川尻線東大山〜大山駅前〜浜児ヶ水が開業した(1974  (S49)年2月1日廃止)。 ・交通協力会「交通年鑑」1961(S36)年版によると、鉄道枕崎線山川〜西頴娃間(  17.7km)は1960(S35)年3月に開業したが、次の要領で国鉄バス(山川線)との  協同輸送を行っていた。   ア 旅客のみ取扱い、手小荷物及び貨物は国鉄バスによって従来通り輸送   イ 気動車は通勤通学時間帯のみ朝夕2往復ずつで、その他の時間帯は国    鉄バスで輸送   ウ 自動車線有効の定期乗車券所持の旅客は鉄道との共同輸送ができる   エ 特別運賃を設定し割増した計算キロ程を定め、鉄道運賃が自動車運賃    より高い場合は調整している   ・座談会「営業所長増収について大いに語る」(「国鉄線」1971(S46)年10月号所  収)には山川自営所長が出席しており、次のような内容を発言していた。   今年の夏場は、貸切収入の増加、周遊客の増加、日本一のソーメン流し唐船   峡に定期便を乗入れ及び土日に臨時便を設定して対前年10%の増収を図ること   を目標としたが、2度の台風で実質3日間の全面運休を余儀なくされ、対前年   102%に終わった。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、山川線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    山川港・営業所〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜枕崎駅前 3往復(所要1     時間54分)    山川港・営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜開聞駅前 6往復(     所要53分)    山川港・営業所〜東大山〜長崎鼻口〜開聞山麓 下り6本・上り5本(所     要41分) ・1985(S60)年当時、線内の山川港に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として山川自動車営業所(営業所前)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で、山川本線の鰻入口〜  徳光、東大山〜大山駅前、仙田〜唐船峡及び山川港〜天神坂が認知された。  (1989(H1)年頃のJR九州自動車路線図所収の「開業年月日一覧表」によると、  鰻入口〜徳光及び東大山〜大山駅前は1985(S60)年3月14日開業とある。) ・山川自営「国鉄バス時刻表」1986(S61)年12月1日改正によると、山川線には  次のような系統が設定されていた。    山川港〜枕崎 2往復(所要1時間54分)    山川港〜西頴娃 1往復(所要1時間)    山川港〜開聞駅前 9往復(所要55分)    山川港〜開聞山麓 3往復(所要41分)    山川港〜大成校前 下り1本(日祝学休日運休)(所要19分)    山川港〜大山 上り2本(うち土曜・試験日運転1本、日祝学休日運休     1本)(所要16分)    山川港〜山川 6往復(所要9分)    山川〜大成校前 下り1本(日祝学休日運休)(所要7分)    山川〜大山 上り1本(日祝学休日運休)(所要11分)    大成校前〜大山 下り2本(うち土曜・試験日運転1本、日祝学休日運     休1本)(所要4分)    西門之浦〜枕崎 3往復(所要28分)    東白沢〜枕崎 2往復(所要20分) ※補足「1986(S61).12.1改正時刻表に関する考察」 ・国鉄民営化を経て、山川線はJR九州に継承された。 ・1988(S63)年11月10日に東大山〜利永〜仙田〜開聞岳が廃止された。 ・1989(H1)年頃のJR九州自動車路線図には、天神坂〜竹山口〜徳光、仙田〜唐  船峡は描かれていないので、民営化後この時までに廃止された模様である。 ・九州旅行案内社「総合時間表」1994(H6)年7月号(H5.8.1現行)によると、山川  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。  (平日ダイヤ)    営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜枕崎駅前 2往復(所要1時     間41分)    営業所〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜西頴娃 1往復(所要47分)    営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜開聞駅前 6往復(所要44分)    営業所〜山川 5往復(所要10分)(うち下り1本学休日運休)  (休日ダイヤ)    営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜枕崎駅前 下り2本・上り1     本(所要1時間41分)    営業所・山川〜東大山〜長崎鼻口〜開聞岳〜開聞駅前 5往復(所要44分)    営業所〜山川 3往復(所要10分) ・2000(H12)年5月30日に上記以外の山川線全線が廃止され、併せて、山川営業所  も廃止された。 ・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。  ◇(指宿駅〜)山川駅前〜東大山〜利永〜開聞駅前〜東大川 鹿児島交通  ◇東大川〜ウエルフェア九州病院〜薩摩別府(〜枕崎駅前) 鹿児島交通  ◇(知覧〜)別府〜尾之上〜枕崎駅前 鹿児島交通  ◇枕崎駅前〜枕崎高校 鹿児島交通 平日  ◇山川〜山下町〜山川駅前〜東大山〜長崎鼻〜開聞駅前 鹿児島交通  ◇(指宿駅〜)山川駅前〜山川〜竹山口〜長崎鼻〜開聞駅前 鹿児島交通  ◇(鹿児島・指宿〜)長崎鼻〜開聞岳(〜池田湖・知覧・鹿児島・空港)                鹿児島交通 定期観光バス「指宿・知覧コース」 2.3 各種考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、山川線には接続駅(山川、  開聞(開聞駅前)、東入野(入野)、頴娃(頴娃町)、西頴娃及び枕崎(枕  崎駅前))の他、山川港、開聞岳、石垣駅前、中塩屋及び川尻港に第二種委  託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・1989(H1)年頃のJR九州自動車路線図所収の「運輸協定路線一覧表」によると、  1956(S31)年7月18日付けの鹿児島交通との覚書で、山川港〜浜児ヶ水〜  長崎鼻間の運転回数は両者とも2往復とするとされていた。 ※補足「
1986(S61).12.1改正時刻表に関する考察
1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【905】嬉野線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇嬉野線    1 武雄温泉−彼杵    2 嬉野温泉−国立病院前    3 平野橋−牛の岳 1.2 路線略図      牛の岳   国立  嬉野中       ○    病院前 学校前   枯       |     ○   ☆    木       |     |   ‖    塔 竹下町  ◎−−−−○−−−−−○−−−○−−−−○−−○  彼杵  平野橋  嬉野温泉 公会堂前  ‖  |                      ‖  ◎武雄温泉                      ‖                    ☆=+=☆                 青陵高校前 武雄温泉(南口) 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・嬉野線は、1942(S17)年4月1日に武雄(→武雄温泉)〜嬉野(→嬉野温泉)〜彼杵と  して開業したのがルーツで、佐世保線と大村線とを武雄温泉駅及び彼杵駅で連絡  する鉄道短絡路線であった。 ・戦後は、1951(S26)年10月15日に波佐見線(嬉野〜舞相)が開業した。 ・1954(S29)年6月15日に大野原口〜皿屋谷が開業した。 ・1957(S32)年8月10日に波佐見線舞相〜有田が延長された。 ・「全国バス路線便覧」1959(S34)年版によると、武雄〜嬉野の系統が1日29回運行  されており、この当時、既に高頻度運行がなされていた。また、同書の1964(S39)  年版によると、1日当たり31回の運行となっていた。 ・1963(S38)年4月10日に嬉野温泉〜嬉野国立病院前が開業した。 ・「交通年鑑1967(S42)年版」には、現在ワンマンカーを運行している区間は次の  通りであり、今後とも乗務員の節減、営業事務の軽減簡素化を図るため、ワン  マンカーの導入を推進するよう努めていると述べられていた。         運行区間       往復回数  実施年月    十和田南〜大湯温泉        20    S41.7    長野原〜草津温泉          9    S41.6    京都〜栂ノ尾            9    S41.9    五条〜城戸             5    S41.10    高松〜松山             1    S41.11    高松〜松山             5    S41.11    広島センター〜呉本通13丁目    24    S41.9    光〜光警察署前           2.5   S41.9    光〜光警察署前(高校前経由)    2.5   S41.9    光〜室積             16    S41.9    防府〜山口〜湯田温泉        3    S41.9    防府〜山口〜湯田温泉(県庁前経由) 3.5   S41.9    防府〜山口             2    S41.9    防府〜山口(県庁前経由)      5.5   S41.9    嬉野温泉〜武雄          22    S41.8    嬉野温泉〜彼杵          17    S41.8    新大阪〜名古屋           5    S39.10 ・1981(S56)年9月13日に不動山〜牛の岳が延長された。 ・1982(S57)年8月1日に波佐見線国立病院前〜有田が廃止された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、嬉野  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    武雄温泉〜嬉野温泉 次の時間帯で20〜30分毎に運転(所要29分)    (下り)      武雄温泉発 始発0631 終発2106    (上り)      嬉野温泉発 始発0548 終発2027    嬉野温泉〜彼杵 14往復(うち土曜運転(休校日運休)1往復)(所要     25分) ・1985(S60)年当時、自動車駅が(自)武雄温泉駅(北口)と嬉野温泉にあった。  また、国鉄バス運行の拠点として、嬉野自動車営業所(嬉野町内)が置かれて  いた。 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月28日に枯木塔〜武雄温泉(南口)〜青陵高校前が開業した。 ・国鉄民営化を経て、嬉野線はJR九州に継承された。 ・1988(S63)年2月1日に嬉野温泉〜国立病院前が廃止された。一方、長崎オランダ  村の開園に伴い、同年9月1日に彼杵〜彼杵港が延長され、長崎オランダ村への  航路に連絡した(1992(H4)年11月1日休止)。 ・1989(H1)年3月11日に嬉野温泉〜温泉センターが開業し、後に大野原口で第1区  間に接続した。 ・武雄温泉の自動車駅は、鉄道が高架になる頃に廃止・解体され、乗り場も駅南口  に移動した。 ・嬉野温泉は、現在も自動車駅として盛業中。 ・2005(H17)年3月1日から武雄温泉〜青陵高校前〜ゆめタウンの延長運転が開始  された。 ・2009(H21)年4月1日から武雄温泉南口〜武雄市役所前〜武雄温泉口が開業し、  ほとんどの便が南口発着に変更された。 ・2011(H23)年6月1日から新武雄病院乗入れが開始された。 ・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。  ◇ゆめタウン〜武雄温泉駅南口〜嬉野温泉〜彼杵 JR九州バス  ◇嬉野温泉〜牛の岳 JR九州バス ※補足 高速バス「うれしのライナー」について ・1989(H1)年9月9日から、JR九州発足後初の高速バスとして、嬉野温泉〜唐津  に昭和自動車と共同で、高速バス「うれしのライナー」を運行開始した。 ・当初は嬉野IC経由便のみであったが、1990(H2)年1月27日から武雄北方IC経由便  が増発された。 ・「うれしのライナー」は、1991(H3)年7月21日から休止され、1996(H8)年7月21  日に廃止された。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【906】佐賀関線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇佐賀関線   佐賀関本線    1 幸崎−佐賀関   坂ノ市線    1 上幸崎−中判田    2 宮下−東高校前    3 豊後佐野−鶴崎 1.2 路線略図         ◎鶴崎         :  中判田 延命寺: 宮下 坂ノ市 上幸崎   佐賀関   ◎−−○−−○−−○−−◎−−−○−−○−−○==☆         豊後 |      | 大志生木  佐賀関         佐野 ○      ◎       高校           東高校     幸崎  ※豊後佐野〜鶴崎は、休止中 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・佐賀関線は、1933(S8)年3月28日に幸崎〜佐賀関が開業したのがルーツで、  同区間は鉄道敷設法の予定線に該当し鉄道の代行路線であった。その後、  1950(S25)年11月1日に本幸崎〜中判田が開業した。 ・1952(S27)年9月15日に古宮〜下浦、1953(S28)年2月1日に坂ノ市線坂ノ市  〜豊後大河内(1981(S56)年9月13日廃止)の各区間が開業した。 ・1958(S33)年8月19日に坂ノ市線坂ノ市〜日吉原海水浴場前が開業した(1981  (S56)年9月13日廃止)。 ・1959(S34)年6月10日に坂ノ市線正門前〜豊後佐野(1969(S44)年8月11日廃  止)、豊後佐野〜鶴崎が開業した。 ・1979(S54)年10月1日に坂ノ市線宮下〜東高校が開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、佐賀関  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    坂ノ市〜中半田 4往復    坂ノ市〜佐賀関 下り22本・上り21本  また、この他幸崎〜佐賀関に区間運転がある旨の注記がなされていた。 ・1985(S60)年当時、佐賀関に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行の拠  点として、臼杵自動車営業所坂ノ市支所(坂ノ市)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・佐賀関線は国鉄民営化を経てJR九州に継承された。1987(S62)年10月12日  に佐賀関〜佐賀関高校が開業した。 ・1990(H2)年2月1日には国鉄時代から休止中だった、坂ノ市線の豊後佐野〜  鶴崎が廃止された。また、1994(H6)年4月11日には坂ノ市線延命寺〜中判田  が廃止された。 ・2002(H14)年7月1日から大分支店(旧坂ノ市自動車営業所)において、JR  利用者専用周遊バス「あそ・ゆふ高原バス」の運行を開始した。 ・「主要駅通過予定表(佐賀関線・延命寺線)」2002(H14)年3月23日改正によ  ると、佐賀関線には次のような系統が設定されていた。    坂ノ市〜幸崎〜佐賀関 7往復(うち日祝運休6往復)(所要33分)    幸崎〜佐賀関  下り26本(うち日祝運休7本、日祝運行3本)・上り     27本(うち日祝運休8本、日祝運行4本)(所要20分)    坂ノ市〜延命寺 下り8本(うち日祝運休1本、土日祝学休日運休1本、     土曜学休日運行日祝運休1本)・上り7本(うち日祝運休2本)(所     要15分)    坂ノ市〜東高校 3往復(日祝運休)(うち土曜学休日運休2往復)(     所要9分)    佐賀関〜関高校 下り2本(土日祝学休日運休)・上り3本(土日祝学     休日運休)(所要4分) ・2003(H15)年3月末限りで佐賀関線(本線、坂ノ市線)全線が廃止され、大分  支店も廃止された(臼杵支店が新たに大分支店と改称された)。「あそ・ゆふ  高原バス」も新・大分支店に移管された。 2.3 旅の考察 ・佐賀関線においては、1963(S38)年6月10日に佐賀関〜大志生木で特定旅客運  送事業の開始が官報公示されていた。日本鉱業佐賀関鉱業所関連の輸送である  と思われる。 ・1977(S52)年の「駅営業範囲一覧」によると、佐賀関線には接続駅(幸崎、  中判田、坂ノ市及び鶴崎)の他に、自動車駅(第1種委託駅)として佐賀関  駅が置かれていた。 ・「停車場一覧」1985(S60)年6月によると、日豊本線鶴崎の接続線名の欄に  は「(自)佐賀関線」との標記はないので、この時点までに豊後佐野〜鶴崎  は休止されたいたものと解される。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【907】臼三線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇臼三線    1 臼杵−三重町    2 上臼杵駅前−上臼杵    3 清太郎−臼杵商業高校    4 南野津−細枝    5 三重高校前−片内 1.2 路線略図                        臼杵商                   臼杵石仏 業高校      三重高          (→石仏 ○ 上臼杵      校前 /\   南野津 野津 入口)| 駅前 三重町◎−−○・−−・○−−○−−○−−○−−○−−○−−◎臼杵       |  鼓石|  |     // 清太郎  \       |    ・==○細枝   ○      ◎上臼杵       ○片内          臼杵石仏 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・臼三線は、1935(S10)年3月1日に臼杵〜三重町が開業したのがルーツで、  日豊本線と豊肥本線を連絡する鉄道の短絡路線を使命としていた。また、  臼杵〜三重町は鉄道敷設法の予定線に該当し鉄道の代行路線でもあった。 ・戦後は、1956(S31)年2月1日に野津市〜豊後王子が開業した。 ・1959(S34)年11月25日に柳井瀬〜三重療養所前〜三重ノ原が開業した。 ・1961(S36)年3月25日に三重高校前〜上鷲谷、三重町〜豊後田中が開業  した。1963(S38)年7月20日に上鷲谷〜片内が開業した。 ・1967(S42)年12月28日に清太郎〜臼杵商業高校、上臼杵駅前〜上臼杵、  1969(S44)年7月26日に南野津〜細枝の各区間が開業した。一方、同年  8月11日に三重町〜豊後田中が廃止された。 ・1970(S45)年4月16日に野津〜豊後王子が廃止され、1971(S46)年4月  1日には柳井瀬〜菅尾〜三重ノ原が廃止された。 ・1985(S60)年8月現在の「国鉄監修交通公社の時刻表」によると、臼三  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    臼杵〜三重町 下り8本・上り9本    臼杵〜野津 3往復    臼杵〜臼杵石仏 1往復    野津〜三重町 下り3本・上り1本 ・1985(S60)年当時、線内に自動車駅として野津駅が存在した。また、国鉄  バス運行の拠点として、臼杵自動車営業所(臼杵)、同三重町派出所(  三重町)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・国鉄末期の1986(S61)年5月10日に柳井瀬〜三重病院〜三重ノ原が開業した。  また、「最長片道きっぷの旅」本文で大回り区間とされたもののうち、1986  (S61)年の国鉄自動車路線名称の全面改正で「鼓石・権現堂間」が追加された。 ・国鉄民営化を経て臼三線はJR九州に継承された。 ・1987(S62)年10月末までに下小坂入口〜中小坂〜中小坂入口が廃止された。  翌1988(S63)年3月14日に上鷲谷〜片内、同年11月2日には三重高校前〜上  鷲谷が順次廃止された。 ・1995(H7)年4月20日に石仏入口〜臼杵石仏が延長されるとともに、柳井瀬〜  三重病院で経路変更が行われた。 ・「ジェイアール九州バス臼三線主要駅時刻表」2006(H18)年4月1日改正に  よると、臼三線には次のような系統が設定されていた。  (平日ダイヤ)    臼杵〜三重町 下り9本(うち商業経由2本、細枝経由2本)・上り     9本(うち商業経由2本)(所要1時間13分)    臼杵〜細枝〜鼓石 上り1本(所要1時間6分)    臼杵〜野津 下り1本(所要35分)    野津〜三重町 下り1本(入北入口経由)・上り1本(三重病院経由     せず)(所要32分)  (土日祝ダイヤ)    臼杵〜三重町 下り6本・上り7本(所要1時間13分)    臼杵〜野津 下り1本(所要36分)    野津〜三重町 下り2本(うち入北入口経由1本)・上り1本(所要     36分) ・2007(H19)年3月末限りで臼三線は全線廃止され、貸切バス事業(「あそ・  ゆふ高原バス」を含む)を含め、JRバスは大分県内から撤退した。 2.3 旅の考察 ・「最長片道きっぷの旅」本文で言及された南野津〜三重町の大回り区間  について、民営化後の路線図その他の資料に基づいて整理すると次の通り  である。       権現堂 三重ノ原 柳井瀬    三重町<−○−−−○−−−○         \      |     中小坂入口○     ・          |\下小坂  \鼓石 南野津       中小坂○−○入口   ○−−○−>野津             \   /   |              ○−○田中入口|             入北 |    |             入口 ・−○−−・                  細枝  南野津〜細枝〜田中入口(8.0km)のうち、南野津〜細枝は当初から国鉄  自動車路線名称に位置づけられていた。鼓石〜田中入口〜下小坂入口〜  中小坂入口〜権現堂(5.6km)は1986(S61)年の国鉄自動車路線名称全面  改正で「鼓石・権現堂間」として追加された。以上の2区間は2007(H9)年  の臼三線全線廃止まで運行がなされていた。他方、下小坂入口〜中小坂〜  中小坂入口(3.5km)は国鉄自動車路線名称に位置づけられることなく、  1987(S62)年に廃止された。 ・これらの大回り区間を経由する便は、1997(H9)年11月29日改正時刻表に  よると次の通り。  (下り便)    野津0644→0717三重町(鼓石〜入北入口経由、日祝運休)    臼杵1255→1423三重町(細枝〜鼓石経由、日祝運休)    臼杵1619→1754三重町(細枝〜鼓石経由)  (上り便)    三重町0657→0826臼杵(入北入口〜細枝経由)    三重町1303→1415臼杵(入北入口〜鼓石経由、日祝運休)    三重町1608→1720臼杵(入北入口〜鼓石経由) ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、臼杵石仏(臼杵  から6.3km)は途中下車駅とされていた。 ・1977(S52)年「駅営業範囲一覧」によると、臼三線には接続駅(臼杵、三  重町及び上臼杵)の他に、自動車駅(第1種委託駅)として野津駅が置か  れていた。 ※補足 豊肥本線列車代行輸送について ・1990(H2)年7月2日、集中豪雨による大水害のため、豊肥本線宮地〜緒方  間46.9kmが不通となった。同月9日始発から代行バスの運行が開始された。 ・「交通新聞」1991(H3)年10月19日によると、代行バスの運行管理のために  臼杵自動車営業所竹田駐在が豊後竹田駅に設けられた。JR九州自動車事  業部では、全九州から車両9両と乗務員11人、点呼1人(冬場は2人)が  急遽集められた。 ・代行輸送は、同年7月9日から緒方〜玉来間で開始され、同月13日には豊  後萩まで、同月16日にようやく宮地までの全区間58.8km(道路距離)の輸  送となった。 ・代行輸送は1日9行路、40便の運行で、1日の走行距離は1,594.4kmに及ん  でいた。この代行輸送にはJR九州自動車事業部の乗務員の7割に当たる  延べ221人が交替で勤務した。乗務員は20日〜25日で交替したが、運行管理  者(鹿児島自営助役氏)は1人で1年3か月間勤務したという。 ・災害から1年3か月後の1991(H3)年10月19日に豊肥本線は全通し、バス代行  輸送も無事故・無運休で完了した。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【908】宮林線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇宮林線   宮林本線    1 宮崎−吉松    2 宮崎−大工町−西の原    3 生目−穆佐校前    4 柏原口−宮水流    5 宮水流−穆佐校前−日向高岡    6 新赤谷−日向川口−梁瀬口    7 上田ノ平−瀬越    8 久木野口−堀切口−紙屋大橋    9 漆野原−一里山    10 上の原−宮原−栗下   日向高崎線    1 野尻町−高崎新田    2 東原口−高原 1.2 路線略図                   納            日      島           妻 郵     梁   新  向    宮 口 柏   西  大  Λ 便     瀬   赤  高  花 水 ○ 原 生 の  工  : 局  小林 口   谷  岡  見 流/ \口 目 原  町  : 前 宮崎  <−−○−−−○−−○+−○−○−−−○−○−○−−○−−+−○−◎      \ /    |   |    /  |   大 |   :       ○     ・−○−+−−−・   |   淀 +………・      日向川口    穆佐校前       |   小→|                         ・−○−○−○南詰                         福島町\ /                             ○←                            大淀中               小林高校       堀切口  瀬越                 ☆       ・−○−・  ○  吉松   栗下 上の原 鬼東 ‖小林 野尻町 |漆野原|  | 宮崎  ◎……○……○……○……○……○…◎−−○−−○−○−○−−○−−>   京町駅前 :  :    市役    | 紙屋 | 久  上        ・○…・    所下  内畑○ 大橋 ○ 木  田         宮原           |    一 野  ノ                   東原口○−・  里 口  平                      | |  山                高崎新田◎−・ ◎高原  ※小林〜吉松、宮崎〜妻は、休止中  ※南詰〜大淀小前〜福島町は、路線名称に無い  ※宮崎〜妻は、日肥線 ※小林〜吉松は1983(S58).12.26から休止中 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・宮林線は、1934(S9)年10月1日に宮崎〜小林町(→小林)が開業したのがルーツ  で、戦後の1954(S29)年1月15日には日向高崎線野尻町〜高崎新田が開業するとと  もに、同年4月1日宮林本線小林〜吉松が開業し鹿児島県内に達した。 ・宮崎〜小林は鉄道敷設法の予定線に該当し鉄道の代行路線であり、吉都線及び日豊  線を宮崎駅及び小林駅で連絡する鉄道の短絡路線としての使命を有していた。 ・1952(S27)年6月1日に穆佐〜穆佐校前〜日向高岡が開業した。 ・1957(S32)年11月1日に日向高崎線東原口〜高原が開業した。1958(S33)年2月1  日に生目〜穆佐校前、1959(S34)年9月5日に宮崎〜出来床〜上小松の各区間が  開業した。 ・1965(S40)年3月28日に日向高崎線椎屋〜高崎役場前、1966(S41)年8月5日に日  向高岡〜新赤谷〜日向川口及び久木野口〜漆野原〜紙屋、同年12月1日に下田ノ  平〜瀬越の各区間が開業した。 ・1967(S42)年8月22日に日向高崎線の大笹口〜後平、日向塚原〜江平口が経路変更  された。 ・1968(S43)年10月11日に新赤谷〜法代が開業した。一方、1969(S44)年8月11日に  日向高岡〜原園〜日向川口が廃止された。同年8月13日に西上江〜栗下が開業し  た。 ・1974(S49)年9月1日に柏原口〜宮水流が開業した。 ・1978(S53)年12月1日に漆野原〜一里山が開業した。 ・1984(S59)年8月1日に日向高崎線椎屋入口〜上轟〜江平口が廃止された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、宮林線に  は次のような系統が設定されていたのを確認できる。    宮崎〜小林 13往復    紙屋〜小林 下り1本    一里山〜小林 上り1本   (この他、宮崎〜日向高岡、野尻町〜小林に区間運転ありと注記) ・1985(S60)年当時、線内の日向高岡及び野尻町に自動車駅が存在した。また、国鉄  バス運行の拠点として、宮崎自動車営業所(宮崎)及び同小林支所(小林)が置か  れていた。 2.2 旅から30年 ・宮林線は、国鉄民営化を経てJR九州に継承された。1988(S63)年1月8日に小林  高校への乗り入れが開始(休止中の小林〜市役所下は再開)された一方、同年2月  1日に日向高崎線の東原口〜高崎新田、同年11月10日に内畑〜東原口〜高原が順次  廃止された。また、同年3月14日には休止中の上の原〜宮原〜栗下も廃止された。 ・1989(H1)年3月11日には休止中の市役所下〜吉松が廃止された。1991(H3)年4月1  日に日向高崎駅及び野尻町駅が停留所化(委託駅廃止)された。1992(H4)年3月1  日には宮水流〜穆佐校前〜日向高岡が廃止された。 ・「JR九州バス宮林線時刻表」1997(H9)年11月改正によると、宮林線には次のよ  うな系統が設定されていた。    宮崎〜小林高校(大橋・堀切経由) 下り1本(日祝運休)    宮崎〜小林高校(大橋経由)急行 上り1本(日祝運休、小林高校〜小林は     土曜運休)    宮崎〜小林(大橋経由)特急 1往復    宮崎〜小林(大橋経由)急行 下り7本(うち日祝運休3本)・上り10本(     うち日祝運休3本)    宮崎〜小林(南詰経由) 下り2本    宮崎〜小林(南詰・堀切経由) 1往復    宮崎〜一里山(南詰経由) 1往復    宮崎〜一里山(南詰・瀬越経由) 下り3本(土曜運行、2・4土曜日祝運休、     土日祝運休各1本)・上り4本(うち一里山〜日向高岡間2・4土曜日祝運     休、土曜運行、土曜日祝運休(日向高岡〜宮崎間2・4土曜日祝運休)、土     曜日祝運休各1本)    宮崎〜日向高岡(南詰経由) 上り1本(日祝運休)    日向高岡〜一里山 下り1本(2・4土曜日祝運休)    一里山〜小林 下り1本    野尻町〜小林高校 下り1本(2・4土曜日祝運休)    野尻町〜小林 下り4本(うち土曜運行(2・4運休)、土曜運行各1本)・     上り6本(2・4土曜日祝運休2本、土曜運行(2・4運休)、土曜運行、     日祝運行各1本)    小林〜小林高校 下り4本(うち2・4土曜日祝運休2本、土曜日祝運休2本)     ・上り5本(2・4土曜日祝運休4本、土曜日祝運休1本)    野尻町〜内畑 3往復(2・4土曜日祝運休、土曜運行(2・4運休)、土曜     日祝運休各1往復) ・運行末期の2003(H15)年の主要駅時刻表によると、宮林線には次のような系統が設  定されていた。  (平日)    宮崎〜小林高校(大橋経由)急行 上り2本    宮崎〜小林(大橋経由)急行 下り10本・上り8本    宮崎〜小林高校(大橋・堀切経由)下り1本    宮崎〜小林(大橋経由) 上り1本    宮崎〜一里山(大橋・瀬越経由) 下り2本    宮崎〜一里山(大橋経由) 上り1本    宮崎〜一里山(南詰経由) 上り1本    一里山〜小林高校 1往復    野尻町〜小林 1往復    野尻町〜内畑 1往復  (日祝)    宮崎〜小林(大橋経由)急行 9往復    宮崎〜一里山(大橋経由) 上り1本    宮崎〜一里山(南詰経由) 下り1本 ・2003(H15)年4月に乗車した際の急行便停車駅は次の通りであった。   宮崎〜生目間各駅、宮水流、花見、中花見、粟野神社前、下高岡、日向高岡〜   小林・小林高校間各駅 ・残された区間も2004(H16)年3月末限りで廃止されて、宮林線は全廃となった。 2.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、宮林線には接続駅(宮崎、小林、  吉松、高崎新田及び高原)の他、日向高岡及び野尻町に自動車駅(第一種委託駅)  が置かれていた。 ・1989(H1)年の路線図によると、宮林線関係の宮崎交通との運輸協定・覚書には次  のようなものがあった。    宮崎〜西ノ原 双方とも橘橋経由の路線を宮崎大橋経由に変更する場合は、     回数増加が伴わない限り、お互いに同意すること。但し、国鉄は宮交の市     内均一運賃(定期運賃を含む)と同一区間については同一運賃とすること。     (S33.12.19覚書)    宮崎〜日向高岡 宮崎〜高岡間の一般乗合旅客自動車運送事業については、     その運行時刻を設定するとき又は今後これを改正する場合は両者協議の上     決定する。(S30.8.15覚書)    宮崎〜小林 宮交は日向川口〜小林間6往復。停留所は国鉄に同調。(S39.4     .13協定書、S39.4.14覚書)    日向川口〜小林 宮交の運行回数6往復を8往復とする。但し増便を行う場     合は国鉄の了解を得るものとする。(S61.2.28覚書)

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【909】都城線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇都城線   都城本線    1 都城−油津港    2 広口−西都城    3 上白木俣−上新村   末吉線    1 高岡口−末吉 1.2 路線略図         ◎都城         |    西都城◎−○広口         |         |安久温泉場     安久温泉○=○         |    ○上新村     本町  |    |  飫肥  油津  末吉◎−○−−○−−−−○−−−◎−−◎      // 高岡口 上白木俣     |      ○              ○油津港     福祉セン     ター前 ※1985(S60)年6月当時、油津〜油津港及び上白木俣〜上新村は休止中 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・都城線は、1935(S10)年11月1日に都城〜飫肥、1940(S15)年4月1日に飫肥〜  油津が開業したのがルーツであり、日豊本線と志布志線を連絡する鉄道の短絡  路線とともに地方の産業開発、交通発展に寄与することを使命としていた。 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(V)戦時期2−」(『東京経大  学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営  自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、都城線飫肥〜油津が1944  (S19)年4月20日から旅客運行が休止された。 ・戦後は、1950(S25)年12月5日に末吉線(高岡口〜末吉)が開業した。 ・1957(S32)年1月25日に上白木俣〜新村、1958(S33)年2月1日に油津〜油津港、  1960(S35)年7月10日に安久〜今町駅前の各区間が開業した。 ・「交通年鑑1961年版」には、中長距離急行便の設定は1957(S32)年の基本方針に  も謳われており、現在急行便を運行している主要路線は次の通りであって、地方  都市間連絡に活躍していると述べられていた。    都城〜油津 60km 2往復 ・1963(S38)年3月20日に末吉線富田〜中園〜末吉が開業した。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、都城線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    都城〜油津 1往復    都城〜上尾平野 下り2本・上り3本    都城〜高岡口 下り2本・上り1本    都城〜安久温泉 下り7本・上り6本    都城〜末吉1往復    高岡口〜末吉4往復    上白木俣〜油津10往復 ・当時、国鉄バス運行の拠点として、都城自動車営業所(都城)及び同飫肥派出  所(飫肥)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年の国鉄自動車路線名称の全面改正で、都城本線に「安久温泉・安久  温泉場間」、末吉線に「本町・福祉センター間」がそれぞれ追加された。 ・都城線は国鉄民営化を経てJR九州に継承された。国鉄時代からの休止区間に  ついては、1988(S63)年3月14日に上白木俣〜上新村が廃止された一方、同年3  月31日までに油津〜油津港が再開された。 ・1994(H6)年5月10日に末吉線が廃止された。1995(H7)年10月28日には上尾平野  〜上白木俣が新道の開通に伴って経路変更された。 ・「弘済出版社の九州・中国版小型時刻表」1995(H7)年3月号(2/1現在)によると、  都城線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    都城〜油津港 下り1本(所要1時間56分)    都城〜油津 下り2本・上り3本(所要1時間53分)    都城〜中郷猪谷 1往復(所要43分)    都城〜高岡口 1往復(所要38分)    都城〜安久温泉 下り1本・上り2本(所要24分)    上白木俣〜油津・油津港 5往復(うち日祝運休1往復)(所要45分) ・都城線の残された区間も1998(H10)年3月末限りで全廃され、都城営業所も廃止  された。 2.3 旅の考察 ・1977(S52)年の「駅営業範囲一覧」によると、都城線には接続駅(都城、西都城、  飫肥、油津及び末吉)のみ置かれていた。 ・油津〜油津港は1984(S59)年2月1日から休止されていた。「国鉄監修交通公社  の時刻表」1983(S58)年10月号(9/1現在)では運行があるのに対し、同1984(S59)  年3月号(2/1改正)では油津港の欄が削られている。 ・油津〜油津港の休止前のダイヤを「国鉄監修交通公社の時刻表」1983(S58)年10  月号(9/1現在)から拾うと次の通りである。  (下り便)    上新村0652→駅前通り0750→0754油津港   上白木俣0836→駅前通り0928→0932油津港(休日運休)     都城0744→駅前通り1002→1006油津港   上白木俣1549→駅前通り1641→1645油津港   上白木俣1712→駅前通り1804→1808油津港  (上り便)   油津港0721→油津0725  →0817上白木俣(休日運休)   油津港1738→駅前通り1742→1834上白木俣   油津港1820→駅前通り1824→1916上白木俣 ・油津〜油津港付近の路線略図は次の通りである。       飫肥・都城         Λ         |         ○平野         |   油津◎−○−○駅前通      昭和 |      通り ○山形屋前         |         ○材木町         |         ○春日町         |         ○上町         |         ○−○油津港        海岸通 ・上白木俣〜上新村は1985(S60)年3月14日から休止中であった。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【910】国分線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇国分線   国分本線    1 国分−鹿屋    2 国分−大隅西山    3 国分−郡田    4 国分−松永口    5 国分−隼人    6 唐仁町−上小川−大隅広瀬    7 銅田駅前−萩ノ元    8 検校川−上之段   浜ノ市線    1 検校川−隼人塚   百引線    1 牛根−百引   桜島線    1 桜島口−桜島港 1.2 路線略図  鹿児島空港☆==○姫城温泉    郡田○         ・:         /   松永口○…・ :     国分高/ 萩ノ元  隼人      : 旭通  校前/城山 ○  ◎   国分◎−+−−○−+−○==☆/ 上之段  |隼人塚    |唐仁町 ‖Aコー /   ○  ・−○−−○−−+−○−−○プ前 /後川内/    | ソニー | |   \ /   ○=☆テクノパーク    | 国分前 | ・    ○銅田 /    ・−−○−−○・ \ 上  \ / 脇元 福山役場前      浜ノ 大隅|  ○小川  ○−−−○−−○      市  西山|   \  /検校川    |           ・−−−−○・        ○磯脇               大隅広瀬       |                          ○下境                          |                        牛根○……○百引                          |    鹿児島        湯平展望所  埋没鳥居|     ◎−・         ☆      ○=○黒神前       |桜島桟橋 桜島港 ‖ 東桜島    |       +−○〜〜〜〜○−−○−−○−−○−−○桜島口       |       \/薩摩   古里  |     ◎−・         赤水   温泉  |    西鹿児島                  |垂水中央   (←鹿児島中央)              海潟○−−○………○鹿屋                             ‖                             ☆垂水港                             ‖                       垂水中央病院☆  ※国分〜松永口、垂水中央〜鹿屋、牛根〜百引、桜島桟橋〜桜島港(定期観光)   は、休止中  ※国鉄支所前→薩摩赤水(定期観光)は、路線名称に無い  ※鹿児島〜桜島桟橋〜西鹿児島は、北薩線 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・国分線は、1935(S10)年10月4日に隼人〜国分〜古江が開業したのがルーツで、  1936(S11)年12月15日に浜ノ市線隼人〜浜ノ市〜敷根町が開業し、1944(S19)年  12月12日に桜島線桜島口〜袴腰(→桜島港)が開業した。戦後の1954(S29)年  5月27日には古江〜鹿屋が開業した(貨物のみ。旅客営業は1962(S37)年4月  16日開業)。 ・この路線は、隼人〜古江が鉄道敷設法予定線に該当し、鉄道の先行路線であり  培養路線であった。大隅半島の幹線動脈を形作り、同地方の産業の発展、資源  の開発に寄与するところが大きいと言われていた。 ・水谷昌義(2010)「国鉄自動車路線網の盛衰−(V)戦時期2−」(『東京経大  学会誌(経営学)』268号(2010年11月10日)所収)によると、戦時中、省営  自動車が貨物主体となり、旅客区間が休止される中、国分本線隼人〜国分、浜  之市線隼人〜浜之市が1944(S19)年4月20日から旅客運行が休止された。 ・1952(S27)年11月18日に牛根〜百引(後の百引線)が開業した。 ・1955(S30)年6月1日に国分〜郡田、同年10月20日に御神田〜萩ノ元、1957(S32)  年6月20日に国分〜小村校前、国分〜日当山温泉の各区間が開業した。 ・「日本国有鉄道監修時刻表」1956(S31)年11月号(5/1改正)によると、桜島定期  観光バスとして垂水発1330の1回、袴腰(→桜島港)発1000・1400の2回が設  定されていたのを確認できる。 ・1958(S33)年5月1日に敷根町〜上之段校前、1954(S39)年11月1日に唐仁町〜  上小川〜大隅広瀬、1961(S36)年4月13日に垂水駅前〜垂水桟橋の各区間が開業  した。 ・1966(S41)年9月20日に敷根町〜上ノ段校前が廃止されて、敷根町〜後川内〜上  ノ段校前が開業した。 ・1972(S47)年12月20日に垂水中央〜垂水桟橋、上古江〜古江が廃止された。 ・「観光路線で活躍する国鉄バス」(「国鉄線」1973(S48)年2月号)には、全国  の主要観光路線(8地区)の輸送量と収入が、次のように載せられていた。          走行キロ(千km) 輸送人員(千人) 収入(百万円)          46実績 47見込  46実績 47見込  46実績 47見込   十和田(北南) 1,229 1,255 730 761  317 332   陸中海岸 84 87 72 101 16 23   白樺高原 822 846 627 697 156 183   塩原 360 395 511 562 67 74   志賀草津 1,222 1,321 2,530 2,720 320 440   南房州 437 466 1,285 1,378 83 93   奥能登 324 353 134 142 68 92   桜島 58 65 47 61 11 14  同記事には、鹿児島本線の特急「有明号」に接続してバスごとフェリーで桜島に  直行する定期観光バスが運転されている、鹿児島本線の輸送力増強など好材料に  よって利用客は更に増加するものと予想され、燃える桜島の合言葉のもと旅客誘  致に努めていると述べられている。 ・横江明「国鉄自動車(その6)−シリーズ 営業を考える−」(「国鉄線」  1976(S51)年8月号所収)には、観光路線の輸送手配について、次のように  述べられていた。  「旅客の集中する時期においては、その観光路線を担当する一地方局・部   の輸送能力では、輸送力的に対応できず、本社の輸送手配によって、輸   送力を整備充実させているのが現状である。」  「現在、本社手配によって輸送力を集中させている箇所としては、国鉄自   動車最大の観光路線である十和田南・北線、白樺高原線がある。また、   地方局・部独自に輸送力の集中手配を行っている路線としては、北海道   のえりも観光の日勝線、東北のリアス海岸観光の陸中海岸線、関東の草   津温泉を中心とした志賀草津高原線、もみじラインの塩原線、南房観光   の南房州線、能登観光の奥能登線、小浜観光の若江線、高雄のもみじラ   イン観光の京鶴線、奥熊野観光の熊野線、松山高知観光の松山高知急行   線、陰陽連絡の防長線、秋芳洞観光の秋吉線、桜島観光の桜島線等があ   げられる。」  「このような路線についての手配を車両でいうと、新製車両を重点的にこ   うした観光路線に配属し、ピーク輸送終了後、各営業所に再配属すると   いう輸送手配である。」 ・「国鉄自動車50年史」には、鉄道と直結した観光路線の輸送改善の例として、  鹿児島本線と桜島線との直結ダイヤの実施(昭和53年度)が挙げられていた。  すなわち、鹿児島本線と桜島線との間、旅客は一旦フェリーに乗船しなけれ  ばならないが、バスをフェリーに乗せることにより、桜島観光便の始発をす  べて西鹿児島発に改善したと述べられている。 ・1984(S59).9.1付、自動車線普通運賃表「桜島定期観光」に記載の絵図によると、  定観コースは、西鹿児島〜桜島桟橋〜桜島港〜古里温泉〜文学碑前〜溶岩展望  所〜養魚場前となっている。その後、西鹿児島〜桜島港は休止された模様。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、国分線  には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    国分〜桜島口 下り7本・上り8本    国分〜下境 下り1本    国分〜磯脇 下り3本(うち休日運休1本)・上り3本    国分〜脇元 下り1本    桜島港〜垂水中央 下り15本・上り14本    桜島港〜桜島口 2往復    桜島口〜垂水中央 下り1本  また、桜島定期観光が桜島港〜桜岳陶芸〜林芙美子文学碑〜溶岩展望所〜桜島港  を3回運行していた。 ・1985(S60)年当時、線内の垂水中央、桜島港に自動車駅が存在した。また、国鉄  バス運行の拠点として、鹿児島自動車営業所国分支所(国分)及び同桜島派出所  (桜島港)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・1986(S61)年12月の「国鉄自動車路線名称」全面改正で国分高校前〜城山公園  が認知された。 ・国鉄最末期の1987(S62)年3月29日に垂水中央〜垂水港〜垂水中央病院、旭通  〜迫田の開業公示がなされた。 ・国分線は、国鉄民営化を経てJR九州に継承された。1987(S62)年12月5日に  桜島定期観光バス(B、桜島港発着)が新コースで運行開始したのに伴い、  桜島口〜埋没鳥居及び薩摩赤水〜湯平展望所が開業した。 ・1988(S63)年2月1日に百引線(牛根〜百引)が廃止された。 ・1989(H1)年3月6日に深迫口〜テクノパーク、同年4月28日に国分〜鹿児島  空港が開業した。 ・1990(H2)年4月28日から桜島定期観光バス(A)を西鹿児島(→鹿児島中央)  発着で運行開始した。 ・1994(H6)年1月31日に休止中の垂水中央〜鹿屋が廃止された。 ・「弘済出版社の九州・中国版小型時刻表」1994(H6)年10月号(9/1現在)では、  国分線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    国分〜垂水中央・垂水港 下り9本・上り8本    国分〜桜島口 1往復    国分〜桜島港 下り2本・上り3本    桜島港〜垂水中央・垂水港 下り10本・上り11本  (エアポートバス(特急便))    鹿児島空港〜垂水中央 4往復    鹿児島空港〜国分 2往復  また、桜島定期観光バスとして、西鹿児島発着のAコース(鹿児島市内・桜島  一周)が1回、桜島港発着のBコース(桜島一周)が2回運行されていた。 ・1996(H8)年9月1日に国分高校前〜郡田、銅田〜萩ノ元及び検校川〜上ノ段の  各区間が廃止された。 ・1997(H9)年3月改正の国分線時刻表によると、国分線には次のような系統が設  定されていた。    空港〜垂水中央・垂水港 下り4本・上り6本    空港〜桜島口 下り1本    空港〜国分 下り4本・上り3本    国分〜垂水中央・垂水港 下り5本(うち日祝運休1本)・上り3本(う     ち日祝運休1本)    国分〜桜島港 1往復    国分〜桜島口 下り1本(日祝運休)・上り2本(うち日祝運休1本)    国分〜下境 2往復(うち日祝運休1往復)    国分〜脇元 下り1本    桜島港〜垂水中央・垂水港 下り8本・上り7本    桜島港〜桜島口 8往復    桜島港〜文学碑 2往復    垂水中央〜中央病院 上り1本    国分〜脇元(自衛隊経由) 上り1本    国分〜脇元(上小川経由) 1往復    国分〜隼人(ソニー経由) 下り2本(うち日祝運休1本)・上り1本    国分〜隼人(浜ノ市経由) 上り1本(日祝運休) ・1999(H11)年4月1日に桜島定期観光(B)が廃止された。また、同年6月10日  には桜島線(桜島口〜桜島港)が廃止された。 ・残された鹿児島空港〜垂水港他の区間も2000(H12)年5月30日に廃止され、国分  線は全廃となった。併せて、国分営業所も廃止された。 ・なお、2015(H27)年6月現在、鹿児島中央発着で桜島定期観光バス(市街・桜島  ぐるっと一周コース、市街・桜島よかとこ早回りコース)がJR九州バスによ  って運行されている。 ・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。  ◇桜島定期観光バス(市街・桜島ぐるっと一周コース) JR九州バス  ◇桜島定期観光バス(市街・桜島よかとこ早回りコース) JR九州バス  ◇鹿児島空港〜国分駅前〜桜島口〜垂水(〜垂水港) 鹿児島交通  ◇桜島港〜桜島口〜垂水(〜垂水港) 鹿児島交通  ◇垂水〜鹿屋(〜志布志港入口) 鹿児島交通  ◇鹿児島空港〜国分駅前〜検校橋〜上ノ段(〜牧之原〜志布志) 鹿児島交通  ◇(鹿児島中央駅〜)浜ノ市〜検校橋〜上ノ段(〜牧之原十文字) 鹿児島交通  ◇国分駅前〜姫城温泉〜松永岐れ(〜霧島) いわさきバスネットワーク 2.3 旅の考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、国分線には接続駅(国分、垂  水、鹿屋及び隼人)の他、垂水中央に第一種委託駅(自動車駅)、牛根、百引  及び桜島港に第二種委託駅(自動車駅)が置かれていた。 ・1987(S62)年3月に第二次特定地方交通線であった国鉄大隅線が廃止された。特  定地方交通線の転換バスは原則として国鉄以外の事業者が運営したが、大隅線  沿線は国鉄バスのエリアであったため、国鉄(JR)バスが唯一転換バスの運営  に当たった。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【911】加治木線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇加治木線    1 加治木−藺牟田−牟多田    2 加治木本町−嶽    3 永原−菖蒲谷−竹山口    4 帖佐−船津−簡原    5 楠田−薄原    6 真黒口−真黒    7 藺牟田池口−藺牟田池 1.2 路線略図      米ノ津港        Λ        |    屋地本町○−◎宮之城        |        |        ○山崎町    ☆いこいの村        |       ‖  副田小学校前○・○入来温泉 ‖        | ・ 藺牟田池○−−○−−○藺牟田(いむた)      入来◎・・       /藺牟田|        |  藺牟田温泉 / 池口 |     牟多田○−−−○−−−○・・・・・○浦川内   (→日の丸)|   ・   洗出    |        |   ・         |        |   ・  真黒 真黒口 |     山ノ口○−−−○−−○−−−○==○塞瀬戸        | 北薩長野  \ / \ |        |        ○楓  \|        |        |    ○楠田        |        ○薄原  |        |       /     |        |      ○酒屋段   |        |     /       ○蒲生町        |    ○良久      |     (たけ)  ○竹山        |    |        |      嶽○  |        |    ○岩戸      |       |  ○市野        |    |        ○蒲生上町   |  |    茄子田下○====○岩戸口    / \   竹山口○−−○上鶴原        |    |      /   \     |  |     花尾口○−−−−○花尾   ○都迫 簡原○    |  ○鶴原        |    |    /(どんざこ)/ \菖蒲口○  |        |    |   /     ・   \  |  ○大宮路     油須木○ 永山口○−−・      |  老神○ ・  |        +    |       船津○    |  \ |        ‖\賦合 |         |    ・ 永原○+        ‖ ○−−○東俣       |   /    | 加治木        ‖/   |         ・−−○帖佐橋  ・  ◎    薩摩郡山○    |            |    /  /        |    ○川田下    帖佐十文字○−−−○−−○   小山田校前○   /             |  向江町 加治木        |  /            帖佐◎      本町    薩摩塚田○−・        |        |        V    西鹿児島・鹿児島  ※上鶴原〜竹山は、路線名称に無い  ※鹿児島〜薩摩塚田〜薩摩郡山〜山ノ口〜牟多田〜宮之城〜米ノ津港、賦合〜   東俣、薩摩塚田〜東俣〜花尾〜薄原〜真黒〜北薩長野〜山ノ口、永山口〜都   迫〜蒲生町、花尾〜花尾口は、北薩線 ※帖佐橋〜船津〜簡原は1985(S60).3.14から休止中(※) 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・加治木線は、1935(S10)年2月21日に加治木〜帖佐〜蒲生町〜牟多田〜入来が  開業したのがルーツで、宮之城線と日豊本線とを国鉄自動車北薩線を介して  連絡する鉄道の短絡路線としての使命を有していた。また、姶良郡・薩摩郡  地帯の産業開発路線であり、沿線地方の交通文化に寄与するところが大きい  と期待されていた。 ・戦後は、1950(S25)年11月1日に藺牟田口〜洗出が開業した。 ・1954(S29)年10月5日に向江町〜岳、1955(S30)年3月15日に藺牟田池口〜藺  牟田池(期間限定運行)が開業した。 ・1958(S33)年2月1日に菖蒲谷口〜菖蒲谷〜辺川口が開業した。 ・1961(S36)年7月1日に永原〜上鶴原〜竹山口が開業した。 ・1969(S44)年8月11日に浦川内〜洗出が廃止された。 ・「国鉄監修交通公社の時刻表」1985(S60)年9月号(8/1現在)によると、加治木  線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    加治木〜入来 下り2本・上り3本    帖佐〜入来 下り2本(うち1本は帖佐〜蒲生町休日運休)・上り1本    藺牟田〜入来 下り2本(休日運休)・上り2本(うち1本は休日運休)    加治木〜蒲生町 下り7本・上り6本    帖佐〜蒲生町 下り8本(うち2本は休日運休)・上り9本(うち3本     は休日運休) ・1985(S60)年当時、自動車駅として蒲生町駅が存在した。また、国鉄バス運行の  拠点として鹿児島自動車営業所蒲生支所(蒲生町)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・加治木線は、国鉄民営化を経てJR九州に継承された。 ・民営化前後の1987(S62)年に加治木本町〜嶽、永原〜菖蒲谷〜竹山口及び上鶴原  〜竹山が廃止された。1988(S63)年3月14日に帖佐橋〜船津〜簡原が廃止された。  1989(H1)年3月11日には酒屋段〜良久が廃止された。 ・「弘済出版社の九州・中国版小型時刻表」1995(H7)年3月号(2/1現在)によると、  加治木線に次のような系統が設定されていたのを確認できる。    加治木〜入来 上り1本(所要1時間20分)    加治木〜蒲生町 下り1本(所要33分)    帖佐〜入来 2往復(所要1時間5分)    蒲生町〜入来 下り1本(所要44分)    帖佐〜藺牟田 下り1本(所要41分)    蒲生町〜藺牟田 上り1本(所要22分)    帖佐〜蒲生町 下り13本(うち休日運休6本)・上り14本(うち休日運休6     本)(所要20分) ・1995(H7)年4月6日に加治木〜帖佐十文字、蒲生町〜日の丸及び塞瀬戸〜酒屋段  が廃止され、加治木線は帖佐〜蒲生町に短縮された。この時に自動車駅である蒲  生町駅が廃止されて停留所化された。 ・1997(H9)年4月7日に加治木線は全廃され、蒲生営業所も廃止された。 ・2015(H27)年時点の運行状況は以下の通り。  ◇(鹿児島空港〜)加治木駅〜帖佐駅〜老神〜蒲生支所前〜楠田車庫前 南国交通  ◇(鹿児島空港〜)蒲生高校前〜蒲生支所前〜藺牟田温泉〜入来中学校前(〜川内)               南国交通/いわさきバスネットワーク 空港連絡バス  ◇(加治木支所〜)加治木本町〜永原〜嶽 姶良市コミバス 嶽線(菖蒲谷/辺川経由)  ◇(川内駅〜)入来支所前〜藺牟田温泉〜池口〜いむた池〜いむた清風        南国/いわさき 薩摩川内市 市内横断シャトルバス 樋脇・入来コース 2.3 各種考察 ・1977(S52)年8月の「駅営業範囲一覧」によると、加治木線には接続駅(加治木及  び帖佐)の他に、第1種委託駅として蒲生町駅が置かれていた。 ・加治木線では民営化後の1987(S62)〜1988(S63)年頃に藺牟田池〜いこいの村を  延長した模様である(1989(H1)当時の「自動車線普通旅客運賃表」にはいこいの  村までの区間が掲載されている)。「弘済会の小型時刻表中国・九州版」1994  (H6)年10月号によると、藺牟田〜藺牟田池(いこいの村は記載されていなかっ  た)は夏季のみの運行と注記されていた。 ・いこいの村いむた池は「レイクサイドホテルいむた清風」に改称、盛業中。 ※謝辞  帖佐橋〜船津〜簡原の休止日については、Tamon様よりご教示を頂きました。感謝  申し上げます。

1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 【912】日肥線 1. S60.6時点の路線紹介 1.1 路線名称 ◇日肥線   日肥本線    1 宮崎−東方−人吉    2 北校前−山路    3 一ノ瀬−尾吐    4 越野尾−仲入    5 鶴瀬−日向折戸    6 上村−小田橋    7 人吉−温泉町   高鍋線    1 穂北駅前−高鍋   椎葉線    1 村所−下ノ原 1.2 路線略図               大河内○             肥後         |大河 仲入     高鍋       瀬戸口   下ノ原○−○内橋 ○ ○尾吐  ◎      +−○−+       |   | |    |北校  人吉  |   |上村  鶴瀬 |   | | 杉安 | 前 妻   ◎−−○−○−○−−◎−−○−+○−−○−○−−◎−○−○−◎   | 小田 東方   湯前 | 村所 越野 一ノ  穂北 | |   ○ 橋          ○    尾  瀬   駅前 ○ ○佐土  温泉町          日向折戸           山路 |原町                                 |                                 ◎宮崎 ※宮崎〜妻、人吉〜温泉町は1984(S59)年1月末から休止中 2. 路線解説 2.1 当時の運行状況 ・日肥線は、1946(S21)年11月1日に妻〜湯前(1944(S19)年12月1日開業の  原産地(貨物)路線の米良線妻〜湯前を旅客化)、1953(S28)年7月23日に  湯前〜人吉、湯前役場前〜肥後瀬戸口〜久米役場前及び一武校前〜一武が  開業したのがルーツで、杉安〜湯前は鉄道敷設法予定線に該当し鉄道の先  行路線であった。 ・その後、1952(S27)年11月20日に村所〜大河内が開業した。 ・1953(S28)年12月21日に穂北駅前〜山島津〜高鍋(後の高鍋線)が開業した。 ・1956(S31)年3月10日に妻〜調殿〜穂北駅前、1957(S32)年1月25日に越野尾  〜小川橋、同年5月10日に人吉〜温泉町、1958(S33)年2月1日に妻〜北校  前〜山路、北校前〜日向坂元〜西都原の各区間が開業した。 ・1959(S34)年5月1日に宮崎〜妻が開業し、同年9月5日に一武〜肥後木上  が延長された(1969(S44)年8月11日、龍塚〜肥後木上廃止)。 ・「交通年鑑1960年版」には、日肥線の延長について、次のように述べられて  いる。  ◇既設日肥線は妻〜人吉間、即ち宮崎県と熊本県を結ぶ路線で特に林産物の   宝庫米良地区を主体とする輸送の任に当たり、両県の経済発展に貢献して   いるが、経済情勢の変遷と地方文化の発展の観点からはその中心地である   宮崎市と直結する必要がある。  ◇このため、国鉄自動車は昭和34年5月より妻〜宮崎間(営業キロ25km、運   行回数4往復)に路線を設定し、既設日肥線内と宮崎市との直通運転を開   始して、旅客の鉄道乗換の不便を解消し、相互旅客に利便を与えることと   なったが、このような都市乗入れ輸送は、単に旅客の利便を図るだけでな   く、経済・文化の発展に寄与することが大きいので、今後もこうした運転   系統の路線は民間業者との協調の上推進されることと思われる。 ・1960(S35)年6月1日に二軒橋〜銀鏡、小川橋〜仲入、1961(S36)年3月25日  に鶴瀬〜日向折戸、同年11月5日に妻〜北校前〜穂北駅前の各区間が開業した。 ・1963(S38)年3月16日、同年4月2日の一ツ瀬ダムの湛水開始に先立って、  黒瀬〜猪野津久呂、二軒橋〜栗八重、越野尾〜米良下原の各区間が経路変更  された。同年3月20日に高鍋〜蚊口浜が開業した。また、同年4月15日に佐  土原町〜妻が栗野経由に変更された。さらに、同年5月10日に大河内〜下ノ  原が延長された。 ・1967(S42)年8月22日に宮崎〜橘通一丁目が開業した。 ・1972(S47)年3月15日に串木〜杉安峡が廃止された。 ・1981(S56)年9月13日に高鍋線高鍋〜蚊口浜が廃止された。 ・1984(S59)年8月1日に北校前〜石貫〜西都原、高鍋線妻〜調殿〜穂北駅前  の各区間が廃止された。 ・1985(S60)年3月14日改正の妻自動車営業所「国鉄バス主要駅時刻表」によ  ると日肥本線には次のような系統が設定されていた。    妻〜村所5往復    妻〜瓢丹渕1往復(日祝運休)    妻〜越野尾下り1本    妻〜一ノ瀬上り1本    一ノ瀬〜村所上り1本    村所〜湯前3往復    村所〜荒谷1往復    湯前〜人吉2往復    堂山〜人吉1往復  同じく支線には次のような系統が設定されていた。    椎葉線 村所〜大河内4往復        大河内〜下ノ原3往復(うち日祝休校日運休、土日祝休校日運休、         土曜運行が各1往復)    高鍋線 高鍋〜妻5往復(うち日祝運休1往復)        茶臼原〜妻下り1本(日祝休校日運休)   「板谷線」鶴瀬〜日向折戸3往復(うち日祝運休、土曜運行各1往復)   「銀鏡線」一ノ瀬〜尾吐2往復   「小川線」越野尾〜仲入1往復 ・1985(S60)年当時、線内の村所に自動車駅が存在した。また、国鉄バス運行  の拠点として、妻自動車営業所(妻)及び同湯前支所(湯前)が置かれていた。 2.2 旅から30年 ・国鉄最末期の1987(S62)年2月15日に北校前〜山路が廃止された。残った区間  は国鉄民営化を経てJR九州に継承された。1987(S62)年に椎葉線のうち大河  内橋〜下ノ原が廃止された一方、同年4月1日に国鉄時代から休止中だった、  宮崎〜妻の運行が再開された。 ・1988(S63)年2月1日に椎葉線のうち大藪橋〜大河内が廃止された他、同年4  月1日に日肥本線の上村〜肥後瀬戸口〜小田橋、同年12月7日には国鉄時代  から休止中だった湯前〜人吉の各区間が廃止された。 ・1994(H6)年9月末限りで高鍋線が全線廃止されるとともに、同年10月20日に  は日肥本線の越野尾〜仲入、一ノ瀬〜尾吐及び椎葉線の全線が廃止された。 ・「弘済出版社の九州・中国版小型時刻表」1995(H7)年3月号(2/1現在)によると、  日肥線には次のような系統が設定されていたのを確認できる。    宮崎〜妻 2往復(休日運休、休日運転各1往復)(所要52分)    妻〜村所 4往復(うち休日運休1往復)(所要1時間30分)    村所〜湯前 2往復(所要40分)    村所〜荒谷 1往復(休日運休)(所要20分) ・1996(H8)年7月17日に熊本県側の村所〜湯前及び鶴瀬〜日向折戸は廃止された。 ・最後まで残った宮崎〜妻〜村所も1998(H10)年3月末限りで廃止され、日肥線は  全廃となり、妻営業所も廃止となった。 2.3 旅の考察 ・1984(S59)年頃の「自動車線普通旅客運賃表」によると、一ツ瀬ダム(妻から  24.3km)は途中下車駅とされていた。 ・1977(S52)年の「駅営業範囲一覧」によると、日肥線には接続駅(宮崎、妻、  杉安、湯前、人吉及び高鍋)の他に、自動車駅(第1種委託駅)として村所  駅が置かれていた。 ・日肥本線宮崎〜妻は1984(S59)年1月末限りで休止されたが、休止前のダイヤ  を「国鉄監修交通公社の時刻表」1983(S58)年10月号(9/1現在)から拾うと  次の3往復が設定されていた。  (下り便)   宮崎1110→妻1207→1347村所   宮崎1530→妻1624→1804村所   宮崎1650→妻1744→1924村所  (上り便)   村所0655→妻0837→0929宮崎   村所0940→妻1125→1217宮崎(休日運転)   村所1200→妻1345→1437宮崎 ・日肥本線の宮崎市内区間の路線略図は次の通りである。      妻      Λ      |      ○神宮駅前      |      ○江平二丁目      |      ○江平一丁目      |      ○橘通四丁目      |  小林<=○======◎宮崎      |デパート前 |      ○橘通三丁目 |      |      |      ○橘通二丁目 |      |      |      ○−−−−−−・    橘通一丁目 ※細線は日肥線、二重線は宮林線を表す。

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